メシの種なり
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011-留学のタイミング

■「子供をアメリカに留学させたいんだが、どうしたらいいだろう」と聞かれることが時々ある。そんな時はいつも「一応大人になってから行かせるのはいいが、十八歳以下の場合はやめた方がいい。少なくとも、日本の高校を卒業し、出来れば日本の大学を一、二年間経験した後の方がいい」と言うことにしている。なぜなら、あまり若いうちにアメリカへ長期間行かせると(一年間ぐらいならほとんど害はないが)、向こうの文化に引きずり込まれて、日本の文化(日本的な価値観や習慣など)に対して、帰国後、大きな違和感を持つようになったり、又、日本語がおかしくなったりして、日本の社会へうまくとけこめられなくなったりする人が多くいるからである。

■西欧のロジックはキリスト教やユダヤ教・イスラム教などのような一神教の持つ「一対」という概念(彼等は絶対の神の存在を信じている)に基づいているのに対して、日本人のロジックには「世の中には絶対はない」という考え方の影響があり、神にしても「八百万(やおよろず)の神々」のように唯一神はいないのである。世の中には絶対的な規範があるということを、一旦、信じてしまうと、今度は、日本的な価値観とバッティングしてしまうのである。

■西欧的価値基準からすると、我々が使うちょっとしたウソ(相手の感情を害さないように気を使って言う)なども、英語で言うlie(人をペテンにかけて、だまして、相手を陥れるためにつく嘘のことで、日本語のウソとは全く違う)の意味に取られたり、日本では「談合」のような、企業の大きさ(分相応)に応じて、全員が仕事にありつけるような暗黙の取り決めを、非合法的な行為としてしか理解できないようになり、非憤を感じるようになる。

■日本社会に見られるこのような一見、理不尽な慣行・敬語の使い方・人との接し方・言ってはいけなかったり・やってはいけないこと・逆にやらなければいけないことなど色々あり、このような社会のしきたりを身につけないと、日本ではうまくやっていけない。あまり若年にして海外で長く生活すると、こういう日本的なことが身につかない状態で日本へ帰ってくることになる。ましてや、日本語がおかしくなると致命的で、いくら英語が達者でも、企業や組織に入ると、同僚からも上司からも、絶対に認めてもらえなくなる。多くの帰国子女たちが直面しなければならない現実がここにあるのである。

■渡辺昇一先生が「英語教育大論争」(文春文庫・95・8・10)で次のように述べている。「・・・外国で生活する機会のあった親の中には、子供にともかく英語を仕込もうとして外国で教育を受けさす。そして外国の高等学校を出たりする。さて日本語は、ということになるが、高校卒ぐらいの年齢まで日本語を放って置いた日本人は、日常の日本語会話は出来るにせよ、日本語をマスターすることはほとんど不可能に近い。日本語は改めて学ぶには実に難しい言葉であるという厳たる事実に直面するのである。そうしたら子供の親たちは、自分が英語で苦労したので、子供だけでも英語で苦労しないようにと願ったに違いない。

■しかしその人たちも、自分の持っているものの価値に気が付かなかったのである。自分たちが日本語をマスターするために払った努力の方は忘れて、日本人の子供なら放っておいても日本の文学が読め、日本語で文章が書けると思いやすいのである。そして外国生活をしているのを幸いに英語だけをやらせると、年頃になった時に、その失ったものの価値に愕然として気づく、ということになる」。私の弟子で某商社に勤めている者がいるが、彼女によると、帰国子女で英語はペラペラだが、日本語が少しおかしい社員がいるという。苦労していると言う。

■帰国子女たちは、外資系の会社に就職すればよいと言う人がいるが、外資系の会社ならうまく行くというわけでもない。そこで働いている人達の大部分は普通の日本人なので、本社から来ている数少ない外人たちと英語でばかり話していると、回りの人たちのしっとを買い、足を引っぱられたりして、かならず浮き上がってしまう。私も外資系の会社にいたので、こういう経験を沢山している。他人のしっとぐらい恐いものはない。特に男性のしっとはものすごい。

■幸いにも私は大人になって(二十三歳で)アメリカへ留学したので、日本文化は十分に身についていたし、日本的な理不尽さにも一応慣れていたので、七年後に帰国しても、何も問題はなかった。

■留学先はハワイ大学だった。東京オリンピック(一九六四年秋行われた)の後で、ホノルルに着いたのが、パールハーバー・デイ(十二月八日)である。変な日にハワイへ行ったもので、真珠湾攻撃の日である。あとで皆なに皮肉を言われたが、飛行機の予約を取ったときは、このことには、全然、気がつかなかったのである。英語をしゃべることは、日本にいるときから、アメリカ人と変わらないと言われていたので、日本から来たばっかりだと言っても、誰も信じてくれなかった。言葉ばかりか、アメリカ的な物の考え方や慣習にも、多くのアメリカ人と付き合ってきたので、何ら違和感を感じることはなかった。

■在学中の七年間は、まぁ貧乏だったことを除けば、生活自体はスムーズにいっていた。ハワイは日系人の多い所だから、平均的なアメリカとは多少違うかも知れないが、ニューヨークにいた四年半でも、ほとんど人種的な差別にも会わなかったし、まるで生まれながらのアメリカ人のように暮らしていたのである。

■その反面、自分のアイデンティティーとしての「日本人であること」を喪失したくないという強い気持ちがあり、日本人としての誇りが強烈だったことも確かである。当時、アメリカに来る人は、留学生・移民を問わず、皆んな米国籍を取得するとか、少なくとも永住権を取りたいのでアメリカにくるのだと思われていて、たしかにアジアから来る人は、特に、その傾向が強く、韓国や台湾からの留学生たちも、ほとんどの人が、永住権・市民権を取るために血道をあげていた。当時。永住権を持っているかどうかでは、大きな違いがあり、アルバイトでも、留学生は。週に二十時間までしか許可されず、親からの仕送りでやっている者はごくわずかの金持ちだけだったから、学費・生活費を稼ぐのは、必須のことだった。しかも、大学の成績は「可平均」(ABCDと不可のDの五段階中のC)を取らないとアルバイトの許可がおりない。フルタイムの学生(一学期に十二単位=四科目を取る学生で、地元の学生でも十二単位も取るとアルバイトなどやっていられないと言っていた)でなければならないという条件が付いていた。しかし、永住権を持っていると、大学をパートタイム(一学期に一科目とか二科目だけ履習して)でゆっくりとやることもできるし、又、アルバイトでも時間の制限がなく、留学生とは条件が全く違うのである。

■「いつ永住権・市民権を取るのか」と地元の人に聞かれたが、「日本人をやめて、アメリカ人になるつもりはない。別に米国へ亡命する必要もないし、日本が嫌になって日本国籍を返上して、米国籍を取らなければ理由は全くない」と答えていた。「アメリカ人になりたいと思ったことなど一度もない。今、ここに居るのは、勉強するために居るのであって、米国籍を取るために居るのではない」と言うと、たいていの人は怪訝な顔つきになった。アメリカ人に言わせれば、アメリカは世界で一番良い所で、ここへ来る人は、全員、アメリカ人になりにくるのだと思っているのである。そんな所で「アメリカ人になりたくない」と言われると、全く調子が狂うということになるらしい。

■キシンジャー氏やガルブレス教授のように外国出身者(キシンジャー氏はオーストリア出身のユダヤ人、ガルブレス先生はカナダ出身のスコットランド系)たちでも、国務長官とかインド大使のような公職につける国だから、日本国とは大きな違いがあるのはたしかである。キシンジャー氏のようにユダヤ人にとっては、元々、我々日本人が考えるような「祖国」がないので、自分にとって一番良いと思う国を選んで、そこの市民になっても、無節操なことだ(自分の生まれた国を捨てて他の国に市民になるというというような)とは思わないのだろうし、又、ガルブレス先生のような人にとっても、元々、父上がスコットランドからカナダに移民した人なので、自分が隣りの国(非常によく似ている国)に移り、最終的にはそこの国籍を取得して、その国の市民となっても、精神的に大きな問題はないのかも知れない。そこえゆくと、日本人の場合は少し違うかもしれない。戦前(第二次世界大戦・大東亜戦争前)の米国移民でも、たいていの人は「アメリカ国籍を取りに言った」わけでもなく、ましてや、日本国籍を捨てるために行った人などいなかったのではないだろうか。たまたま、戦争があって、日本が負けて、アメリカの市民になった方が最終的にはトクだとか、仕方ないとかでアメリカ人になって人が多いのだと思う。私でも、ひょっとしたら、アメリカ人の女性と結婚して、子供もでき、長い年月、アメリカに住んでいれば、自然にアメリカ人になっていたかも知れないが、日本へ帰ってくる前提で渡米したのだから、国籍を取りに行ったわけでもないことはたしかである。

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