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スギーズのiエッセイ
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//我輩も猫である//
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vol.001 我輩も猫である/-1
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■この国に有名な小説家・夏目漱石が書いた「吾輩は猫である」に登場する猫とは血もつながっていないし、何の関係もない。
しかし "I'm a cat, too." (吾輩も猫である)と言いたいのである。
"But I'm not an ordinary cat. I'm different. I'm a genius." だが、猫は猫でも、その辺にごろごろしている猫たちとは、一味もふた味も違う。
俺は天才なのだ。
■夏目漱石の小説に出てくる猫は、この国の有名人(猫?)だから、系図の偽造でもして、あの猫の子孫(猫孫?)だと言ったほうが、知名度は上がるかもしれない。
だが嘘までついて有名になる積りはない。
"I was born in the United States but have no nationality. I carry no passport nor any visa to enter any country.
My old master was an American and took me to Japan."
私の生まれた所はアメリカ合衆国である。猫に国籍はない。
日本に来るのにパスポートやビサも必要ない。
たまたま昔のご主人様がアメリカ人で、彼のお供をして、この東洋の経済大国へやってきただけである。
■旧主は紅毛碧眼のヘンリーJ・キャットナップ(Henry J. Catnap)という。
"catnap" とは「転寝(うたたね)」と言う意味だが、"nap" だけで「うたたね」の意味だから、その上に「猫」の文字をつける必要などないと思うのだが。
社命によって、東京へ子会社を設立するために派遣されてきたのである。
コンピューター関係の会社だが、日本の市場も無視できなくなり、日本への進出が決定された。
彼は大学時代、多少日本語を勉強したということが知れて、この厄介な仕事を押し付けられることになったようだ。
年齢は30そこそこだが、独身であることが東京へ派遣された理由の一つでもあったらしい。
女房・子持ちの男を日本へ行かせれば、子供の教育費を負担したり、家族の人数によっては大きな家かアパート(どうもこの国の人たちは "アパートメントapartment or アパートメントハウスapartment house" のことを「マンション」("mansion" = 「大邸宅」と好んで呼ぶようだ)を借りてやらなければならない。
会社の方も女房・子持ちでは経費もかかるので、独身の男の派遣ということにしたのだろう。
時々、会社のケチさ加減をなじっていたぐらいだから。
■ヘンリー・キャットナップは30を越しても独身者でいるぐらいだから、たいして女にもてるというわけでもなく、猫など(吾輩のことだが)を飼って、まあ気侭にのんびりと暮らしていた。
何が起こったのか知らないが、東京に2年ほどいて、急にアメリカへ帰ってしまった。
しかも私を置き去りにしたままである。私に一言こう言って "You're free now. You can go anywhere and do whatever you want."
(お前は自由の身だ。好きな所へ行き、好きなことをすればよい。)あたふたと一人で帰国してしまったのである
■黒人奴隷を解放したリンカーン大統領を気取って、私を「解放」したつもりかも知れないが、ペットというものは「奴隷」とは違うのである。
特に猫は、犬のように首輪をつけられて、鎖につながれたり、小鳥のように小さなカゴの中に閉じ込められたりするわけではない。
主持ちの身ながらかなり自由に今までやってきた。
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002 我輩も猫である/-2
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■犬などはかわいそうに、いろいろな義務を負わされている。
番犬の役目をおおせつかったり、犬ゾリのようなひどく重い物を引かされたり、盲導犬として働いたり、猟犬として人間が他の動物をハント("hunt")する手伝いをさせられたりする。
だが人間は、猫にはこういうことをさせようとはしない。
その点、猫にはネズミを捕ること以外、何も期待しないから、正に自由そのものだ。
このネズミ捕りも、今では、人間も期待しなくなって、たまにネズミを捕ってくると、女の子は「キャッ!」と言って気持ち悪がり、人間の方でも捕ったネズミの始末に困るぐらいで、決して喜んではもらえないのである。
■猫には誰も「お手!」とか「お座り!」などとはやらないもので、犬などのように特別な訓練所などに入れて、人間の命令に従うようにトレーニングをしたりはしない。猫訓練所など聞いたこともなければ、またいくら探してみても、そんなものどこにも存在しないのだ。"Cats don't have to do these stupid things like most dogs do." 「お手!」などのような「ばかげたこと」は、猫ならやらなくてもいいのである。
■しかし、飼い主に捨てられると大変である。"If you get dumped, then you become a homeless cat." 捨てられたらホームレスになるわけだから。
アメリカには、今では、750万人のホームレス(人間様の)がいるという。
日本には2 ̄3万人しかいないから、日本と較べるとアメリカはひどい所で、日本の数百倍もいるのである。
リストラ( "restructuring"= 首切りと同じこと)やダウンサイジング( "downsizing" 切り詰めること、小型化すること)が行われ、レイオフ("layoff" 一時解雇と呼ばれ、人手を会社が必要とすれば再雇用されるというのが前提だが、そのままレイオフされっぱなしになることが多い)される人が沢山出てきて、ホームレスになる人もいるわけである。
だから、アメリカでは、ここ二、三十年間は、一握りの金持ちを除いては、皆、ビクビクしながら生活しているのである。
日本でも、最近は、リストラが流行っているから、昔と較べればサラリーマンも大変だが、アメリカと較べれば、日本のほうが数倍安定した国なのだ。
■私もホームレスになったので、途端に、三度のメシ(猫は一日二食なのだが)を自己調達しなければならない破目になったのであった。今さら、昔の猫のように、あの薄汚いネズミなどを捕って生活などできるわけがない。ネズミは不潔だし、恐ろしい。小さい奴なら、いたぶりながら遊ぶこともできるが、スラム街やゴミの多いところにいる奴らときたら、いつも腹いっぱい食っているから、ぶくぶく太って、人間の赤ん坊でも食い殺すほど残忍な奴らだ。大きいのになると、われわれ猫よりも大きいのもいる。ピストルでも持っていなければ、こっちの方が危ないくらいだ。
■キャットナップ氏には、子猫のときからけっこう美味い物を食わしてもらい、この国の仏教の坊主のように「山寺の和尚さんは、鞠は蹴りたし、鞠は無し、猫をかん袋(紙袋)に押し込んで、ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く(泣く?). . .」などとやられたこともない。まあ優遇されていたのだから、今さら恨みがましいことを言うつもりはない。しかし、毎日のメシの確保をしなければならなくなった。まあ、住居の方は、雨露をしのぐ場所はどこにでもあるから、メシの確保と較べれば、別に大きな問題ではない。ただ、柔らかいソファーや暖かいベッドに寝るというわけにはいかないだけである。目下の所、夏だから、寒くなるまでには、まだ時間がある。
■キャットナップ氏には、子猫のときからけっこう美味い物を食わしてもらい、この国の仏教の坊主のように「山寺の和尚さんは、鞠は蹴りたし、鞠は無し、猫をかん袋(紙袋)に押し込んで、ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く(泣く?). . .」などとやられたこともない。まあ優遇されていたのだから、今さら恨みがましいことを言うつもりはない。しかし、毎日のメシの確保をしなければならなくなった。まあ、住居の方は、雨露をしのぐ場所はどこにでもあるから、メシの確保と較べれば、別に大きな問題ではない。ただ、柔らかいソファーや暖かいベッドに寝るというわけにはいかないだけである。目下の所、夏だから、寒くなるまでには、まだ時間がある。
■浪人というのは、この国の江戸時代に、大した仕事をしなくても、御主人様(殿様と呼ぶらしいが)に三度のメシを食わせてもらっていたサムライが、急に殿様が領地を失って破産したり、何かの落ち度が見つかって殿様に首を切られたりした者のことで、私と同じように、開放され自由の身にはなったが、給料がもらえない境遇に落ち、主人なしではメシが食えない悲しい身分の人たちなのである。本来は「浮浪人」の意味で「牢人」とも書いたというぐらいだから、正にアメリカの奴隷的境遇にある人たちである。これから抜け出す唯一の方法は、新たに「主取り」をすることである。猫とて同様、新しい御主人様(アメリカでは、奴隷の所有者のことを、奴隷に "マスターMaster" と呼ばせていたが、日本のバーやレストラン・喫茶店のマスターとは大違いで、殺生与奪権の持ち主だから「偉い人」で)を探さざるを得なくなったのである。
■"As I said before, us cats are different from dogs." 前にも言ったように、猫は犬とは違うのである。何も建設的な("productive" は「生産的な、利益を生ずる」などと訳されているが、あまりいい訳がないようだ)ことをしなくてもメシにありつける特権を猫はもっている。犬のように「ドロボー除けの警報機」の仕事をしたり、動物殺しの手伝い(猟犬として)をしたり、麻薬中毒にさせられて麻薬捜査("narcotic investigation")の片棒を担がせられたり、雪ゾリを引いたり、盲導犬になったり、警察犬をやったり、飼い主に愛嬌を振りまいたり、そういうことをしないとメシにありつけないのとは違うのである。
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003 我輩も猫である/-3
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■サムライも殿様が民・百姓の上前をはねた分のおこぼれをもらって生活する。だが何もしないでメシを食わせてもらう猫よりは、少しはマシなのかもしれない。大してプロダクティブでなくても、一応、お城に出仕して事務仕事(オフィスワーク)をするから、遊んでいるばかりではないのである。上級職の上士なら、生活はかなり豊かかもしれないが、下の方の者の生活は、けっこう苦しいのだ。それでも、出勤できる者(役付きのサムライ)はいい。無役のものは惨めなもので、役付なら役職手当がつくから、その分だけでも無役のものよりも生活が楽だが、無役の下級武士は、何もしなくてもいいが、そのかわり家禄(何石とか、何両何人扶持とか、何俵何人扶持を年二回ぐらいに分けてもらう)だけで生活しなければならない。物価がインフレ("inflation" の日本式短縮形)になっても、収入は同じだから大変で、百石、二百石取りのサムライなら、何とかやりくりできても、三両三人扶持などという最低の家禄しかもらっていない者たち(江戸徳川家の家来など)は、家族全員協力して、一年中、アルバイトの手間賃稼ぎをしないと、食っていけないのである。浪人となると、この家禄もないわけだから、それは惨めなものである。私もこの浪人と言うラベルをはずす努力をせざるを得なかったのである。
■昔の黒人奴隷なら死ぬまで浪人することはない。古代エジプトやローマ帝国時代の奴隷も同様で、大金持ちになった奴隷や、奴隷の身分のままで大臣になったものもいたというぐらいだから、浪人よりも奴隷の方が楽かもしれない。もっとも、日本は奴隷制度を一度も持たなかった国だと言われているから、日本人には、奴隷と言うと、あの西部劇に出てくるアメリカの黒人奴隷しか想像することができないかもしれない。浪人が、再度、主持ちになるには、江戸時代と呼ばれた徳川幕府治世下でも、希望者が多く、競争率が高いわけだから、簡単には雇ってもらえなかったらしい。吾輩も彼ら同様の努力をすること以外に手はないと悟ったのである。
■猫に私有財産があるわけではない。だから、金品を誰かに贈るわけにもいかない。頭を使う以外には手はないのだ。幸いに頭は悪くないし(天才だと思っているぐらいだから)、語学の才能にも恵まれている。日本語も、来日いらい、暇にあかせて勉強したから、米日両語に精通したバイリンガル("bilingual = 二ヶ国語を流暢に話す)だ。人間は誰も知らないが、猫は語学の天才なのである。猫はどこで生まれようが、どこかへ移動すると、たちまちすぐにその土地の言葉を覚える。猫である限り、どこの国へ行っても、猫同士のコミュニケーションはすぐに取れるようになる。その国の猫語をすぐに覚えるからである。私などは、その上、人間の言葉にも精通する能力を持っている。猫なら誰でも人間の言葉が分かるようになるというわけではない。私のように人間の言葉が分かるようになる猫もいれば、どうしても覚えられない猫もいる。皆、ある程度は分かるようになるらしいが。しかし、犬のように「多少は人間の言葉が分かる」ことが人間に知られると、後で大変な苦労をしなければなくなるので、できるだけ人間の言葉が分からないような振りをして、われわれ猫族は、長年努力し続けてきたのである。この語学力を利用すれば、新しい御主人様を見つけることも、何とかなるだろうと、早速、行動を開始したのである。
■次のマスターが見つかるまでは浪人の身分だから、メシを何とかしなければならない。日本はアメリカと違って、そこの共同体の一員にならないと、うまくやっていけない社会だ。猫の社会だってそうなっている。ゴミ箱あさりだって、それぞれ縄張りが決まっているから、他の猫たちの縄張りを荒らそうものなら、半殺しの目に会ってしまう。日本の猫ときたら、恩知らず恥知らずで、私が主持ちだったとき、一人(猫だから一匹か?)では食べきれないご馳走を近所の奴らに分けてやっていたにもかかわらず、私が困っているときはそっぽを向いて、魚の尻尾の一つも分けてくれない。不人情(不猫情?)な奴ばかりで、頭にくる。
■そういうわけで、二日もメシを食っていないと、ドロボーでもやるしかなくなるではないか。いわゆる「泥棒猫」というやつだ。しかし、これをやって人間様に捕まると、こっぴどく殴られたりするから、私には危険すぎて、とてもじゃないけどドロボーなどは出来ない。生まれたときから浪人の野良猫("アリーキヤットalley cat")なら、魚屋の店先から、サバ("マッカレルmackerel")やサンマ("ソーリーsaury")をさっと失敬する才能と度胸を持っているかもしれないが、私にはとても出来る芸当ではない。
■結局、人間様のものを失敬するのはやめにして、替わりに、近所にいる、少々間の抜けた犬のメシをいただくことにしたのである。この犬の名前は「シロ」といい、全く気のいいメスの犬なのだ。ちゃんとした飼い主のいる犬で、ほとんど鎖につながれることもなく、常時、放し飼い同然の犬なのである。この国の法律では、犬の放し飼いは禁止されているのだが、近所から一度も苦情を言われたことはないと飼い主は言っている。このシロ君は、全く、人畜無害なのである。シロに噛みつかれることなど、絶対にないと近所の人は思っているぐらいだから、「畜」の内に入る私などにも、いたって愛想がいい。
■シロ君には猫もうらやむような特技がある。飼い主がいるのにもかかわらず、直径一キロメートル以内に、行けば必ずメシを食わせてくれる家を四軒も五軒も持っているのである。相手は「野良犬だからかわいそうだ」と思ってエサをくれるわけではない。シロには、ちゃんとした飼い主が居ることを知っていて、それでもシロが来るとエサをやるのである。どうしてこうなるのか私にはよく分からないのだが、これこそ、シロ君の大特技なのである。シロ君は、外で、自分の家のメシよりも美味い物を食べているので、家のメシははよく残す。この残ったシロ君のメシをいただくことにしたので、飯の心配だけはなくなった。
■シロ君は頭がいい訳でもないし、私のように毛並みがいい訳でもない。ただ人(犬と言うべきか)がいいのである。誰にも恐がられない。シロ君は人間とうまくやるコツを知っているのである。これは私も大いに見習わなければならないと思ったのである。
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004
・浪人廃業、主持ちになる
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■ある日のことである。私が例によってシロ君のおこぼれにあずかって、食後の腹ごなしの散歩をしているとき、シロ君の家の近くでときどき見かける中年の男に "Come here, Kitty. Come here, Kitty." 「子猫ちゃん、おいで」と英語で話しかけられた。私は、一瞬、ためらったが、久しぶりに英語で呼びかけられたためか、ふらふらっと、声をかけられた中年男の足元へと吸い寄せられていた。彼はしゃがんで私の頭をなでながら "You're a good girl." 「お前はいい娘だ」と繰り返して言う。私の性、メスかオかを確かめないで「いい娘」と決めつけられたのには少々頭にきたが、気にしないことにした。どうせ後で調べれば分かることだから。
■人間と一緒に暮らすうえでの最大のハンディーは、何といっても「こっちのしゃべる言葉が相手に通じない」と言うことだ。私などは、猫の中でも数少ない語学の天才だから、日本語もすでにマスターしている。耳で話しを聞いたり、目で読んだりすることは、まったく、問題ないのだが、日本語でも声に出してしゃべると、相手には「ニャオ、ニャオ」としか聞いてもらえない。結局、ゼスチャーまがいの事をやる以外に手がない。相手の足に身をすり寄せたり、いろいろなことをやっても、こっちの意思の百分の1も相手に伝わるかどうか、ろくなコミュニケーションも出来ないのである。書くことでも出来ればいいのだが、猫の手はサルの手と違って、ペンや鉛筆は握れない。書けない、しゃべれないと言うと、まるで「日本人の英語」みたいなもので、少しも使い物にならないのである。
■この男は、発音も日本人訛りが少しもなく、日系二世かと思ったが、人のよさそうな顔をしているし、アメリカ人と変わらない英語をしゃべる男なら、私と同じような物の考え方ができるだろうし、一見、インテリにも見えるし、ひとつ、この男に取り入って三度のメシにありつくのも一策と考えるにいたった。丁度浪人してから三ヶ月にもなるし、主持ち時代の生活が恋しくなってもいたのである。
■この男はすっかりハゲあがった四十男なのだが、どう見ても五十以下には見えない。白髪でハゲだから、少なくとも十歳以上は上に見られる。本人はハゲと言われても、全然気にならないらしい。職業は「自由業」、要するに、メシの種なら何でもやるという「何でも屋」だと本人は自称している。歌の歌詞に "Jack of all trade and master of none." というのがあるが、何でも出来るが、いずれも中途半端で「何もマスターしていない」の類だと。アメリカの大学を出ているので、英語を教えたり、翻訳などを主な収入源にしていた。
■猫ほど感のいい者(猫は動物だから「物」かもしれない、私は少なくとも、人間とは同等だくらいに思っているので「者」と言わせてもらうが)はいないので、第六感のはたらきは、犬よりも数倍上なのだ。この第六感の冴えこそ、我が猫族の優越意識の根源なのである。この第六感に「この男は、根っからの猫好きだ!」と" I chose this man as my new master" 「私が選んだ」と言っても「こっちだって選ぶ権利がある」と言うのは人情だから、相手にも選ばせなければならない。私の方で、一方的に決めるわけにはいかないので、攻め方に工夫をこらす必要がある。まずは当人攻略ということになるが、これはあまり難しくはないと判断した。敵さんは無類の猫好きなのである。彼が外出ときは必ず近寄っていき、相手に擦り寄ったり、ちょいと話しかけたりすることを繰り返すだけで、親密度も高まり、当人攻略のミッションは完了("The mission was accomplished.")したのである。
■次に攻めるのは彼の子供たちである。上の女の子と下の男の子は攻めやすいが、真中の女の子は難しそうだった。なかなかペットに慣れない。どちらかというと、少々恐がりなのである。最大の難関は、彼の奥方の母親である。彼女がペットに関しては、絶対的な権限を持っている。しかし、彼女が、ペットには、いたってやさしい心の持ち主なのは、シロ君の扱いを見ていればよく分かるので、彼女の攻略も何とかなったのである。
■この家に関しては、気をつけなければならないことが一つある。それはこの家の敷地内で小便やクソをしたりしないことである。奥方が「くさい!」と言って毛嫌いするのである。シロ君など、うっかりこの家の敷地内でクソをしてしまい、二週間も出入れ差止めを食らってしまったくらいだから。私などは、シロ君と較べれば、頭の出来が全く違うから、初めから分かっているので、そんなドジなことは絶対にやらないし、全て作戦どおりにやるので、とうとう一ヶ月もたたないうちに、準家族並に、定期的にメシにありつく所までこぎつけた。しかし、家の中で寝る権利を獲得するまでには、それから、二ヶ月もかかり、牢人して半年後に、やっと主取りに成功したのである。
■マイ・ニュー・マスターは、通常、「先生」と呼ばれている。英語を教えたりもするので、「英語の先生」ということで、こう呼ばれるのだろうと想像するのだが、私も彼のことを「センセイ」と呼ぶことにした。
■"It was sixteen years ago when I became the member of this family." センセイの家族の一員になったのは16年も前のことになる。 "We get old fast and our longevity is pretty short when compared to the human's." 猫は早く歳を取る。人間のように長生きはしない。"At least I'm not young anymore." 少なくとも若いという歳ではない。
■当時は長女が小学校六年生、次女が四年生、長男が2年生と、みんな二つ違い、奥方の母親が81歳。翌年、残念ながら亡くなられたが、亡くなられる少し前までは大変元気な方で、私はよく可愛がってもらった。奥方は平均的な教育ママで、子供たちに「お父様、お母様」と呼ばせていたくらいだから、高いプライドの持ち主である。
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005
浪人廃業、主持ちになる-2
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■センセイは、某外資系企業のマーケティング本部長をしていたが、社内上層部との権力争いに負けて身を引き、脱サラで事業をはじめたが、二年もしないうちに大失敗。自宅だけは残ったが、他の財産も失い、借金返済のためには何でもやらなければならなくなり、本人は「自由業」と呼んでいるが、要は英語を「商売の元手」にする家業をやりはじめたのである。学校で非常勤の英語の講師をやったり、技術・法律・ビジネス関係の翻訳(和文英訳、英文和訳)、英語のナレーター、マーケティング・コンサルタントなど、通訳以外は何でもやるのだと本人は言っていた。どういう理由かは分からないが、単純な通訳だけはやりたくなかったらしい。
■身長167センチ、体重72キロ(今は62キロに保っている)、あまりスタイルがいいとは言えないが、40代の男としては平均的な体格の持ち主だった。住まいは東京の都心に近いまあまあの住宅地にあり、一応、一戸建ての二階家で、27坪の土地付だから、まあ平均的な家である。この辺を高級住宅地と呼ぶ人もいるようだが、周りにはお屋敷と呼ばれるような家もいくつかあるが、近くには木造アパート(戦後に建てられた)や長屋などもあり、銭湯もいくつかある(今はそれも無くなってしまったが)ような所だから、欧米のような高級住宅地とは違う。アメリカなどには5エーカー・ゾーンなど呼ばれる住宅地があり、最低でも6,130坪単位でしか家を建てられない決まりになっていて、敷地が一万坪の家なんていくらでもある所とは大違いなのである。
■家の中で寝られるようになるのに二ヶ月かかったが、この国の童謡にもあるように、雪が降れば「犬は庭かけまわり、猫はコタツで丸くなる」のが当たり前、寒いのだけはカンベンして欲しいと言うのが猫の本音なのだ。
■センセイは子供の頃、猫を飼っていたという。「まり」と呼んでいた白と黒の大きな斑点のあるメス猫で、多産系だったらしく、出産のたびに生まれた子猫の処分をさせられていたらしい。もらってくれる人を探すのだが、必ず売れ残りの子猫が出てくる。それを捨てに行くのもセンセイの仕事だったので、大変後味の悪い思いをしたのだと言う。
■猫族には多産系の者が多い。避妊の手術を受けていないメスは、不運な子猫を生まざるを得ない。特にセンセイの子供の頃は、不妊手術(ステリラライゼイション"sterilization")などを猫に施す人はいなかったのだから、私のような紳士は少数派で、大抵の奴らはスケベ―猫だから、ある時期(さかりの時期)になると、手当たり次第ということになるからどうしようもなくなる。現在のように保健所と呼ばれる「猫や犬を処刑する役所」へ連れて行かれ、毒殺されることを考えれば、川の土手に捨てられる子猫は、万が一にも拾い手があらわれ、生き延びられる者も出てくるから、まだ捨てられる方がラッキーなのかも知れない。だから先生もあまり自分を責める必要はないと思うのだが、いまだに心を痛めているらしい。とにかく「人がいい」のである。
■"まり君"の子供で、一匹だけ、自分の家で飼った猫がいたそうで、何でも一万匹に一匹くらいしか生まれないという「三毛猫のオス」だったと言う。三毛猫のオスというのは、漁師が珍重する大変珍しい猫だそうだ。センセイは単純に三毛猫だから"みけ"と呼んでいたらしい。三毛でもメスはゴマンと生まれるから価値はないが、めったに生まれないオスの三毛猫は、誰よりも飛びぬけた「鋭い感」の持ち主で、台風や嵐、海上のシケなどを予知する能力を持っているのだと言われている。海が荒れることを予知するわけだから、気象庁よりも信頼することが出来るのだ。気象庁の天気予報など「当たるも八卦、当たらぬも八卦」などと口の悪い連中が言うくらい当たらないことが多いのだが、三毛猫のオスだけは「百発百中」、外さないのである。超高感度レーダー内蔵の猫なのだから、他の猫と較べると「変人(猫)」の類に属しているのだ。
母親の"まり"が高齢で亡くなると、あとを追うようにして、二週間後には縁の下で死んでいたとセンセイは言う。母親以外には誰にもなつかなったそうだ。"Hey, Charlie, 'Mike' was a real maverick. He belonged to nobody, not even to me or to my mother. 'Mari' was his only family. He was so independent. A real cool cat. I really loved him though." センセイ曰く「あいつは一匹狼(マヴァリック)で 、どこにも誰にも所属しない、冷静で、本当にクールな奴だった。俺は本当にあいつが好きだったんだ。あいつは猫離れしていた。人間で言えば、変人、奇人だな。猫だから変猫(へんびょう)か。
とにかく人には絶対になつかない。抱き上げられても三十秒もしないうちに逃げ出す。しかし、いつも堂々としていた。わが道を行くというやつだ。俺も高校の卒業アルバムに "I will go my own way." と書いたぐらいだから、俺の理想像のようなものだったのかもしれない」"Charlie, you know you remind me of 'Mike'. When I first saw you, I thought I knew you. You looked like him even though you're not 'mikeneko'. But you're more amicable than 'Mike'." 「チャーリー、お前を見ていると"みけ"のことを思い出すよ。初めてお前を見たとき、どこかで会ったことのある顔だなと思ったんだ。そういやあ"みけ"に似ているよ。お前は三毛猫じゃないけれど。お前の方が愛嬌があるね。」と言うのである。
■私のことをチャーリーと呼ぶので、何でそう呼ぶのか後で知ったのだが、この親子以外に、再度、猫を飼うときには、「チャーリー」と呼ぶことにしたのだと言う。オスだろうがメスだろうがチャーリーと呼ぶのだと。こういう風に一回決めておけば、次に又猫を飼うときでも、名前を考える必要がなくなる。しかも、あの有名な漫画「ピーナツ」(もう亡くなったがチャールズ・シュルツ Charles M. Shulz が長く書きつづけ、全米一の人気を保った)の中でスヌーピー(Snoopy)やルーシー(Lucy)と一緒に登場する主役、あのお人よしの、オール・アメリカン・タイプ("all American type")のチャーリー・ブラウン(Charlie Brown)と同じ名前である。
センセイは、このチャーリー・ブラウンが大好きで、そういうこともあって、自分が飼う猫は"チャーリー"と呼ぶことにしたんだと言うわけだから、理由はいたって単純なのだ。私にはトム("Tom and Jerry" という「猫とネズミの漫画」に出てくる、あの間抜けの Tom と同名)という名前があるが、これだって親がつけてくれたと言うわけでもないから(本当は私を捨ててアメリカへ帰ってしまった旧主がつけたもの)、私がどう呼ばれようと、そんなことは気にしないが、お人よしという点では、犬のスヌーピーのご主人のチャーリーとは少々違い、私はけっこうさめていると思っている。しかし、私もこのチャーリーは嫌いではない。
ただ、私の方が、ずっと、頭がいいのと、世渡りでも一枚上だと思うのである。"Anyway, I decided to let him call me Charlie. So, from now on my name's Charlie." 初めのうちは、センセイが「一方的に」私に対して話しかけるのだと思って聞いていたので、ほとんどこちらからしゃべりかけることはなかった。彼の方で気の向いたときに英語で話し掛けたり、日本語でしゃべったりするのである。あたかも私が両語とも理解していると思っているかのように。
私に対しては、たいてい英語を使うのだ。私には英語の方がよく通じるとでも思っているように。そのうちに、あたかも私の意見を引き出そうとするような言い方をしはじめた。"What do you think of it?, Isn't that right?, Don't you agree?, etc." 「それ、どう思う?」「そういうことだろう?」「俺の言うとおりだろう?」などと言ってこっちのの反応に期待するので、適当な返事をすると、先生は納得したような表情を示すようになった。どうやら私の言葉を理解しているようなのだ。
別に分からなくても分かったような振りをしているのではなさそうなのである。"Sensei, do you understand what I say? I mean 'word-by-word. Not just 'meow' or 'mew' but as a human language?" 「センセイ、私の言うことが分かるんですか?ただ単にニャオとかニャンニャンとかだけではなく、人間の言葉として」と言うと。"You didn't notice that? I thought you always did. You sound American and your Japanese is pretty good, too. You must be a linguist just like me." 「当たり前だよ。今まで気付かなったのか?お前、そんなこと、分かっていたと俺は思っていたけど。お前はアメリカの猫だろう。日本語もけっこう上手いよ。俺と同じように言葉の専門家(リングイスト)だよ」と言うのである。これには私の方が驚いた!「猫がしゃべる言葉を人間が分かるなんて!こりゃ大変だ!これで人生、元へ、猫生も面白くなるぞ!」と思ったのである。
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006
・日本国のことば
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■センセイに「お前も俺同様にリングイスト( "linguist" 言語学者)だ」と言われたときは、多少赤面したが、別に大学の先生でなくても、言語と言うものを研究する者ならリングイストといってもはばかりないとは思う。先生などは英語の発音のエキスパートだから "phonologist"フォノロジスト(音韻論者)と呼ばれてもいいかもしれないが、私は別に学者として成功しようとも思っていないし、もっとも、猫を教授に迎えてくれるような大学はどこにもないから、下手の横好きの部類で満足なのだが、言語というのは勉強しはじめたら面白くて、なかなかやめられないものである。
■この間、先生が出し抜けに "Hey, Charlie, how's your Japanese coming? You've been reading a lot lately." と言う。まあ、猫の一日は大変暇で、ほとんど何もやることがないから、他のやつらは居眠りばかりしているが、私は時間潰しに、センセイの本棚にある本を、片っ端から読んでいるだけなので、別に勉強しているわけでもないが、けっこう楽しんで読んでいる。
■"Pretty good. I can read and speak it alright but the trouble is that I can't take notes or write it." All I can do is to keep'em in my head." と答えたのだが、読めたり、しゃべれたりしても、猫はノートをとったり、文を書いたりは出来ないから、頭に入れておくしか手がないのである。まあ「しゃべる」と言っても、センセイ以外は「ニャオ」としか聞き取ってもらえないから、しゃべることにはならないかも知れない。相手のしゃべることは、全部、分かるけれど、それだけでは「対話」にならないから、センセイだけが唯一の対話の相手ということになる。
■それにしても、猫の手は、なぜ、ペンも握れないようになっているのか不思議でしかたがない。なぜ、サルのような手を持っていないのか?サルみたいな手があれば、文字を書くことなど朝メシ前になるのだが、こんな手では「晩メシ前」でもダメである。神様は不公平だ!なぜサルと猫をこうも差別するのか?昔、農繁期になると「猫の手も借りたいほど忙しい」と言っていたというが、「まったく役に立たない猫の手でも借りなければならないほど忙しい」という意味なのだろう。しかし、センセイによると、最近はこういう表現はしないと言う。
■オームや九官鳥などは人間の言葉をしゃべれると言うが、あれはしゃべっているのではなくて、人間の声を、ごく短いセリフなら真似できるというだけで、自分で考えて言葉をしゃべったり、本当の意味で人間と対話が出来るわけではない。人間は、何とかして、動物(人間以外の)に言葉を教えようとして、長い間、チンパンジーやゴリラに、特殊なトレーニングを施しているが、サルが人間の言葉をしゃべりはじめたという話は、今だに聞いたことがない。人間の言葉がある程度理解できるようになるサルや犬はいるらしいが、私のように聞いて理解でき、同時にしゃべれたり、ましてや文字が読めるような動物はいないと思われている。
■猫の私が英語も日本語もちゃんとできることは(もっとも書くことは除外して)、センセイも極秘にしている。誰も信用しないだろうし、もしそんなことをまじめに言おうものなら "He's gone mad." と言われて、気狂いあつかいにされるだろう。だからセンセイはこのことを完全に秘密にしているのだ。もっとも、いくら私と英語でしゃべっても、日本語でしゃべっても、誰もおかしいとは思わない。人間はペットといつも話をしているからである。ペットばかりではなく、牛や馬とも同様にしゃべるのだから、傍目には、何も異常なことには見えない。猫は人間の言葉で「読み・聞き・しゃべりができるのだ」などと「まじめに」言ったりしなければ、OKなのである。
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vol.007
・日本国のことば-2
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■センセイが私に言うには、日本人は「日本語ほど難しい言語はない」とみんな思っているのだと。外国人にはとうていマスターすることは出来ないと思い込んでいる。だから外国人がカタコトの日本語をしゃべると、手をたたいて、まるで赤ん坊がはじめて「パパ」とか「ママ」言いはじめたときのように「日本語が本当にお上手ですね!」ほめちぎるのだ。しかし、相手の外人は(こういう風にほめられるのは「白人」だけで、チャイニーズやコリアン、タイ国人、フィリピン人などの場合は、ちょっと違うらしい)、自分が文法もデタラメなブロークン・ジャパニーズ(broken Japanese)をしゃべっているのはよく分かっているので、どこかおかしいと思うらしい。日本人がアメリカでブロークン・イングリッシュをしゃべっても、誰もほめてはくれないし、あけすけには言わなくても、内心では「こいつは、ちゃんとした英語もしゃべれない知的水準の低いやつだな」と思われるのがいいところである。
■この点に関しては、わが旧主もうんざりしていた。「あれは我々外人を馬鹿にしている証拠だ」といきまいていたのを思い出す。外人でも、一、二年、日本語を勉強すると、けっこう読めるようになるし、半年も日本に住めば、日常会話なら、かなりできるようになる。先生の古い友人のC氏も、長く日本に住んでいて、上智大学卒だから、日本語は本当に上手い。コロンビア大学のドナルド・キーン先生などは、並の日本人の学者も顔負けの「日本語の大家」で、うちのセンセイなど、ものすごく尊敬している。アメリカ人だろうがイギリス人だろうが、はたまたチャイニーズだろうがコリアンだろうが、日本語の上手い人はかなりいる。まあ私は猫だから、ちょっと別格だが。
■日本語と言うのは全くおもしろい言語で、英語ほど「きまり」がやかましくなく、特に句読点の打ち方(punctuation)には、何もルールなど無いようなもので、プロの作家、物書き、学者、一般人も、みんな好き勝手にやっている。うちのセンセイも、文章らしいもの書きはじめたころは、英語のパンクチュエーションのルールにそって書いていたが、今ではかなり適当にやっているようだ。先生が言うには「文の勢いとか、流れやリズム」を大事にしなければならないから、フレキシブル(flexible)にやればいいのだと。しかし英語の世界では、厳しくルールに従うように、大学院などでは指導していて、論文を書くときは、特に厳しくルールに従うよう学生たちに強制している。新聞・雑誌の記事なども、大体、同じルールに従っている。このルールは American Psychological Association アメリカン・サイコロジカル・アソーシエイション発行の Publication Manual パブリケーション・マニュアルを参照するといい。
■センセイによると、大野晋氏の「日本語の年輪」(新潮文庫)に「隋書倭国伝(ずいしょわこくでん)」(六世紀頃に書かれた史書)に、倭国(ニッポン)には「文字無し。ただ木を刻み、縄を結ぶのみ。仏法を敬す。百済に於いて仏経を求得し、始めて文字あり」と書かれているらしい。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり. . . 」とはじまる「平家物語」などには、漢語が多く使われていて、大野晋先生によると、「覚一本平家物語」に使われた漢語の種類は、五千語を下らない。現代の総合雑誌に現れる一年間の語彙の総数でさえ約二万種類であるところをみれば、五千という数は、よく考えればかなり多数であるのだそうだ。漢字は沢山あって、先生も読めないものが多くあるから「漢字は苦手だよ」と言う。私も、非常に、苦労しているのである。
■平安中期以降は、漢語が勢力を伸ばしてきて、当時、すでに全体の15〜20パーセントが漢語になっていて、鎌倉時代には約25パーセント、室町時代には約30パーセント、江戸時代には35パーセントになり、日本が大東亜戦争(アメリカ人は the Pacific War と呼びたがるが)で惨敗に帰するまで、漢語はその勢力を拡大し続け、現代では、日本人の使う言葉の45パーセントになっているとセンセイが言っている。
■明治以降になると、漢語ばかりでなくヨーロッパの言葉が、急激に、日本語に侵入してくる。はじめのうちは、西欧の言葉を「漢字」を利用して、新しい漢語を造語していたが、造語しきれない分は、そのままカタカナ読みで表記するようになったのだそうだ。明治19年に出版されたヘボンの和英辞典では、一万語以上の漢語が増補されていると言っているので、馬鹿にできないない数である。これら一万以上の(うちのセンセイも、その総数がどれだけになるのか、まだ調べていないので、よく知らないと言う)漢語は、チャイニーズの中にも入っていき、チャイナや台湾、コリアでも使われているので、日本人は、チャイニーズに対して、この点を「大いに自慢していい」のだとセンセイは言う。
■日本語は、たいへん多くの語彙を持った大言語で、平凡社の「大辞典」には、約72万語が収録されているが、センセイの使っている大きな英和辞典(小学館のランダムハウス英和辞典)でも英語の単語は約40万語収録されているだけだから、日本語はすごい言語なのだ。英語の語彙の85パーセントは「借用語」だと言うけれど、日本語も多くは借用語なのである。英語を起源とする借用語(カタカナ語)だけでも、2万以上あると言われているから、特殊な専門用語を加えるともっとあり、その数も、今後増え続けても減ることは無いだろう。日本語はこのように多くの漢語(元々チャイナから借用したものと新しく日本人が造語したものの両方)と西欧から借用したカタカナ語は、日本語を豊かな言語にすることはあっても、借用語に侵略されて「本来の日本語が消えて無くなりつつあるのでは、決してないのである」とセンセイは声高に主張している。元々の大和言葉の体系は、少しも傷つかないで、過去二千年も生き延びてきたし、これからも、この大和言葉の言語構造(the language structure of 'yamato-kotoba')は、少しも破壊されないで生き延びて行くのだと。
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vol.008
・スターティング・ツーラーン・イングリッシュ
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■うちのセンセイの長女が某私立の中学校に入学したときのことである。二月一日に入学試験があり、翌二日に合否の発表があり、めでたく合格、お嬢さんも、奥方やオバーチャンも大喜びで、特に塾の先生が合格不可能と宣告した学校に受かったので、皆さん、大変ハッピーなのであった。
■センセイは、さっそく、娘に英語の発音を教えはじめた。毎朝六時に起床して、登校前の30分間、「アー」とか「イー」とか「ウー」とかやるのだが、発音のレッスンよりも、彼女を起こすのが一苦労なのである。はじめのうちはどうなるのかとハラハラしながら見物していたのだが、まだ12歳の子供だから、音には敏感で覚えるのも早く、5週間もたつと、母音全部とほとんどの子音を正しく発音できるようになっていた。これには私も驚いて、センセイの自論がこれで証明されたと確信したのである。思春期(ピューバーティー; puberty, 女子は12歳くらい、男子は14歳くらいで迎える)前でなければパーフェクトな発音は覚えられないと言う定説とは少し違うが、「思春期を少し越した年齢、高校一年生ぐらいまでなら、教え方によっては、正確な発音をマスターさせることができる」というのがセンセイの説である。これは自分の体験に基づいた説なのだ。中学入学の少し前の段階で、このレベルに到達したので、センセイはたいへんご満悦の様子であった。
■四月八日から学校がはじまり、英語の授業も週6時間あることになった。この女子校では「英語の時間」と「イングリッシュの時間」と呼ばれていた二種類の授業に分かれていて、日本人教師が担当するのが「英語」の授業で、米人教師が「イングリッシュ」を教えるのだそうだが「言いえて妙」である。
■センセイも毎朝六時起きはちょっときつそうだったが、まあ自分の娘のためだから、奥方にたたき起こされ、しぶしぶながらも熱心に教えていた。しかしながら、娘のほうは「イングリッシュ」に興味はあるものの、毎朝六時にたたき起こされてはたまらない。気合など入るわけがないから、センセイも時々かんしゃくを起こしていた。しかし、成果はかなり上がっていて、私が聴いてもかなりいい音を出していた。
■夏休みも終わり、文化祭とかいう学校の行事があって、女子校の文化祭などセンセイは一度も見たことがないので、嬉々(?)として出かけていったが、帰ってくるなり、"Charlie, girls did an English drama and their English was so bad. But in a way it was quite interesting." 「チャーリー、中学一年生の英語劇を見てきたが、あまりひどい英語なので、逆に面白かったよ」と言うのだ。"You know actually they learned it so well. They got the perfect Japanese accent on their English. Teachers must have done an excellent job of teaching English pronunciation with perfect Japanese accent. This means that they have mastered it in only 6 months." 「中学に入って、たった半年で、あれほど見事に日本語式発音を覚えると言うことは、教え方が上手だということだよ。先生と同じ発音を半年で真似できるようになるぐらいだから、正しい発音でも、この調子で教えれば、みんな、すぐに上手くなるということだよ」と。「鉄は熱いうちに打てというが、まさにその通りだ。中学一年の間に日本式発音を徹底的に叩き込まれると、これはちょっとやそっとの矯正で"正しい発音"に宗旨替えなどできるものではない。俺の弟子たちが苦労するわけだよ」と嘆くのである。
■発音の指導は、センセイのメシのタネのひとつである。アメリカ英語の発音を教えるのだが、弟子集めに宣伝などしないから、口こみだけで、弟子の数も少ないし、月謝も安くしているから、これでは美味いメシは食べられないが、けっこう熱心に楽しんで教えている。プライベートに教える人たちを「弟子」と呼び、学校で教える「学生」とは区別している。どう違うのか私には分からないが、成果は弟子の方が圧倒的にいいから、その辺にカギがあるのか、それとも学生と弟子とでは熱心さが違い、熱心さの度合いで区別しているのか、とにかく弟子たちは、全員、上手くなるのである。十年以上もセンセイの所で勉強している者もいるぐらいだから。
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vol.009
・スターティング・ツーラーン・イングリッシュ-2
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■「英会話は教えない」とセンセイは言う。「会話は外人とやりなさい。外人から習いなさい」と言う。いくら英語を教えるためとはいえ、自分が日本人相手に英語をしゃべるのは苦手(嫌)で、勘弁してもらいたいのだと。下手な英語の相手をするのは苦痛なのだと。学生や弟子には会話文を声に出しての発声練習は、徹底的にやらせるが、言葉のやり取り、まあキャッチボールのようなものだが、下手な奴とのキャッチボールはイヤなのだと言う。センセイが常連のさるピアノバーで一杯やっていると、時々、エーゴらしき言葉(イングリッシュでないことは確かなのだそうで)話しかける日本人がいるらしく、これには閉口すると言っている。まるっきりジャパニーズ・イングリッシュ(ガイジン連中はジャプリッシュとかジャパングリッシュとか呼んでいるらしいが)でやられると、吐き気がするほど酒がまずくなるらしい。
■私も、時々、日本人同士で下手な英語を使っているのを見かけるが、珍妙な光景である。発音もイントネーション(intonation)もリズム(rhythm)もあったものではない。文法もひどいし、セリフの言い回しが珍妙で、これが英語かいなと思うようなセリフが出てくるから、面白いといえば面白い。これでは変な英語をお互いに覚え合っているのと変わらない。 まるで下手になる努力を、一生懸命にやっているのと同じで、まことに奇妙な感じがするのだと。センセイもよく言うのだが、「ロール・プレイイングなどと言って、日本人の学生同士で対話をさせている先生(外人教師でも日本人の教師でも)がいるが、あれはナンセンスだ。対話の相手はネイティブ(native)か、それに準ずるフルアントに(fluently, 流暢に)英語をしゃべれる人とやらなければ、本当の意味での上達は期待できない」と。日本人同士で対話をさせるのは「教師の手抜きだ」と言うのである。学生が直接外人教師と対話できないのなら(生の対話相手として)、録音テープを相手に会話を練習する方が、効率がいいかも知れないと。学生がいくら変な、ひどい英語で話しかけても、先生は正しい発音で正しい英語で返答するから勉強になるので、返ってくるものが自分と同じ変な英語だったら、何の役にも立たない。「逆に害になると言ってもいい」とセンセイは言う。私もこれには、全く、異論はない。
■センセイの話だと、英語の音韻体系(sound system)には三つの要素があり、第一は「発音」(pronunciation)で、それぞれの母音や子音をどう発音するかということ。二番目が「抑揚」(intonation)で、三番目が「リズム」(rhythm)だと言う。二番目と三番目をまとめて「韻律学」(プロソディー; prosody)と専門的に呼ぶのだそうだが、音の高低(ピッチ; pitch)や強勢(ストレス; stress)、連接(ジャンクチャー; juncture)などのことだそうだ。「発音が下手でかなり訛っていても、イントネーションが少々おかしくても、リズムさえ狂わなければ、英語で相手をしてもいいが、リズムが狂うと、こっちまでおかしくなって、英語がスムーズに出てこなくなる」と言い「英語が上手い、アメリカ人と全く変わらない、などといくらおだてられても、所詮、俺にとって英語は外国語、ネイティブのように、相手の発音やリズムが狂っていても、自分の言葉までおかしくならないというところまでは、とても行き着かない」と嘆息していた。
■センセイも日本人と英語で話をするのを嫌がるが、日本に何年か住んでいるネイティブ(native English speakers)も、センセイ同様に「日本人と英語をしゃべるのはイヤだ!」と言う。英語の教師はそんなことを言っていられないので、仕事だからと我慢しているようだ。しかし我慢できなくなって、やめる人も多いのである。最も猫に英語でしゃべりかけるのは、ネイティブかうちのセンセイぐらいだから、私の方は、セーフ○○党である。
■センセイの長女も大学院を出て、今はアメリカで仕事をしているが、中一のときに習った発音訓練のお陰で、「まるでアメリカ人と変わらない発音だ」と皆が言うらしい。中一のころに、正しい発音をマスターさせれば、こういう成果が現れるのである。
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vol.010
・ナショナル・ディフェンス
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■ここのところ新聞紙上でロシア原子力潜水艦クルスク(Kursk)の沈没(2000年八月二日)・救助に関する記事でにぎわっているが、センセイが "What do you think about the national defense of Japan? Are we doing a good job? What does 'national defense' really mean to us or, for that matter, to anybody else in the world?" 日本の国防とは「どういうことを意味するのか?」、それについて私がどう思っているのか、他の国の人にとって「国防」とはどういう意味を持つのかなどと質問するので、ちょっと考えてみたが、そう簡単に答えが出せるようなことでもないと思った。
"As far as the Russia's armed forces are concerned, the are all screwed up. They just don't have enough money to maintain their military force. They don't even have money to pay their soldiers." ロシア軍はとにかくメチャクチャで、お金がないので、兵隊の給料まで支払っていない。軍人が給料をもらえなくなると、どうなるか?周りにあるもので金目のものを売り飛ばして生活費に当てなければならなくなる。兵も将校も同様である。将校でも勤務をサボってタクシーの運転手などのアルバイトしなければ女房子供を食べさせられないのである。士気は地に堕ち、軍の体をなさなくなる。
軍をアノミー(anomie, 人々の日々の行動を秩序付ける共通の価値・道徳が失われて無規範と混乱が支配的になった社会の状態。デュルケムの用語)が覆ってしまった状態だが、何でも起こりえる。今回の原潜事故もその結果だろう。日本人は「国防」とか「軍事」、「軍隊」のことに関して、あまりにも知らなすぎると私が言うと、"You're damned right!"(全くその通りだ)とセンセイも言う。
■"You know, Charlie, Japanese totally lack the knowledge of defense or military. Just because we lost the last war the winning side very successfully made us think that we're the bad guys like the American Indians in the old western movies. The Americans are the good guys." 先の大戦で負けたからと言う理由だけで、我々が西部劇のインデアンのような「悪者・悪玉」で、アメリカ人は「偉ら者・善玉」なのだと思わせるのに戦勝側は大成功した。「我々が悪うございました。こんなことは二度とやりません。戦うことは悪です。チャイナやロシアや北朝鮮はいつでも日本を攻めることが出来る戦力を持ってもいいが、日本は戦力と名のつくものは、マッカーサーに作ってもらった憲法で決められているから、絶対に持ってはいけないんだ」と一億総懺悔をやりはじめて50年もたつのだと、センセイ、大いに嘆くのである。
あのマッカーサー元帥でも、退役後、米国上院で「日本が行ったのは、防衛のための戦争だった」と証言したぐらいだから、あの戦争は、相手に仕掛けられた戦いを、やむなく行っただけで、侵略の意図などほとんどなかったのであると。
東南アジアへ軍を送ったのも、アメリカ、イギリス、オランダや、フランスと戦い、現在のインドネシア、マレーシャ、ベトナム、フィリピン(これらは今では独立国だが、当時は英米仏蘭の植民地だから、日本が攻めたのは今の独立した国々ではない)で彼らが生産していた石油(日本への禁輸協定を結んでいた)などを獲得しようとしたのである。英米仏蘭の植民地(宗主国の所有物)に住んでいる人たちと戦争しようとしたのではない。ましてや、日本が白人たちを追い出して、彼らに取って代わって、そこの住民を支配しようなどとは全く思っていなかった。日本は、彼らを英米仏蘭の支配から解放して、独立させることを目的としたのである。
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vol.011
・ナショナル・ディフェンス-2
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■"I won't say we had nothing but good intentions. The natives in this area were never regarded as our enemies except the Chinese and the Philippine guerillas. The Chinese 'kakyo' were the only ones fought against the Japanese forces in the South East Asia."我々は白人国の植民地に住む住人たちと戦争をしたのではない。イギリスの植民地経営の手先だった華僑とフィリピンのゲリラだけは別で、日本軍と戦ったが、国家としてまとまって戦ったのではないし、歴史に残るような戦果があったわけでもない。華僑のチャイニーズは、白人たちの買弁(comprador)として、現地住民を搾取することに手を貸していたので、地元の人たちからは、大変嫌われていたのだとセンセイは言う。
■センセイは大東亜戦争がはじまったころの生まれだから、いわゆる戦中派ではない。唯、満州で生まれ、敗戦から一年後の夏(summer 1946)に帰国したのだと言うから、多少、戦争体験はあるが、5歳前後までの経験だから、3〜4カットの写真のような記憶はあるが、ほとんどのことは覚えていないと言う。ここ10年くらい、チャイナに残された戦災孤児のことがテレビンなどで報道されているが、センセイも、「運が悪ければ今頃テレビに出ていたか知れない。俺は本当にラッキーだったんだ」と言っている。
■アメリカ(マッカーサー)の日本国民に対して行った "brainwashing"(洗脳)は強烈で、日本人の「玉抜き」が徹底的に行われた。アメリカ人が最も恐れたのは「日本人の復讐心」で、「次の戦争では必ずアメリカに勝つぞ」と思わせないようにすることが最優先された。言論統制(censorship)が徹底的に行われ、あの戦争を正当化(justify)するような発言や出版物は、厳しく取り締まられ、ラジオの番組などを通して「いかに日本が間違っていたか」とか、「戦前の日本を完璧に否定するような物の考え方」を全国民に宣撫(inculcate, 繰り返し教え込む)したのだ。だから、中学校の先生でも、生徒の前で、天皇陛下のことを「テンちゃん、テンちゃん」と平気で呼んだりしていたとセンセイが言う。戦前は、天皇制を含めて、すべてが間違っていたと言うのだ。天皇を「陛下」と称したりするだけで、非平和主義者、軍国主義者などとののしられたのだそうだ。
■しかし、センセイは中学生のころでも、すでに軍備・国防に関して興味を持っていたらしく、小説などでも戦争物、兵隊物をよく読んだらしく、階級名・階級章に関する知識をそのころから持っていたと言う。大学に入って米兵(GI)や米軍関係(特に従軍牧師たち)との付き合いがはじまると、英語の軍隊用語も沢山おぼえ、英語の小説も戦争物をよく読んだと言う。だから、素人としては、軍事関係の知識はかなりのレベルだったらしいのだ。
■山本七平氏の「ある異常体験者の偏見」という本で、七平氏自身の軍隊経験から得たすばらしい洞察(insight)が示されている。旧陸軍の兵員数は、最盛時で700万だったと言う。当時の人口の一割、今なら1200万人以上に相当すると言う。いかにお金がかかったか想像してみるといい。現在の日本の陸軍(陸上自衛隊と日本では呼ぶが、英語では Army = 陸軍である)は15万人、米国は200万人弱、チャイナは約300万人、北朝鮮は約100万人、ロシアも100万人以上である。700万人というと、持たせる鉄砲の数が足りなくて、銃も持たされない兵隊が沢山いたということで、これじゃあ、戦争に勝てるわけがない。そのぐらいは猫にも分かる。日本軍の兵器・車両・戦車は旧式のものが多く、不良品も多かったらしい。戦闘機(ゼロ戦のような)や軍艦などには一流のものもあったが、とにかく日本軍は「無い無い尽くし」だったらしい。無条件降伏当時(軍は無条件降伏したが、日本国自体は、条件をつけて降伏した)、戦爆特攻機などが約1000機あったらしいが、すでに燃料はゼロだったと言う。
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vol.012
・小学生のうちから英語下手を養成するらしい
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■"Hey, Charlie, they're gonna do it again. Did you read the paper this morning? "「あいつら、またやるつもりだよ。チャーリー、新聞見たか?」とセンセイが言うので、"Who are they, and what are they going to do?" と私が言うと、"They, the 'monbusho' guys. The paper says that they're gonna train the existing elementary school teachers so that they can teach English to the kids." 「あいつらだよ、文部省の連中だ。今いる先生たちを再教育して、小学生に英語を教えさせるんだとよ」
■今朝の日経(8/24/00)に「平成十四年度から全面的に実施される『総合的な学習の時間』を活用して、小学三年生からの英語学習が可能となることから、文部省は23日、来年度から、小学校教員に対し英語指導のための研修を行うことに決めた」と報道された記事を見て、センセイが頭にきているのである。今年から品川区のいくつかの小学校で「ネイティブ・イングリシュ・スピーカー」(英語母国人)の教師を雇って英会話を教えはじめたとき、センセイが私に言うには「今は外人の先生を雇ったりしているが、そのうち、まともな発音も出来ない、英語もしゃべれない日本人、今いる先生たちに英語を教えさせるようになるぞ」と。ようするに、全国の小学校に大勢の英語母国語人を配属することなど財政的にできるわけがないから、英語を教える先生の大多数は、今いる先生の中から選んで、その人たちをちょっと訓練して教えさせるか、または中学校の教師を派遣して彼らに教えさせるのは目に見えているとセンセイは言うのだ。その結果、どうなるのか。今までは中学校から英語下手にしてきたのを、小学生のときから「英語下手、英語嫌い」を養成するのだと。
■私も全く同感で、生徒の能力の問題ではなく、先生の教える能力の問題なのである。日本の英語の教師の発音のひどさは、私が時々あっちこっちの学校に出かけてリサーチしただけでも明らかで、音ばかりではなく、抑揚(intonation,イントネーション)もフラット(flat)で、アメリカ人などはマシンガン(machine gun)のように「ダダダダ」としか聞こえないと言っている。またリズム(rhythm)もとてもひどくて、全く英語に聞こえない。だから、日本の英語の教師は、英語の「音声システム」(English sound system)をよく研究して、せめて発音だけでもある程度正しく出来るようにならないと、生徒は間違った音を教わることになる。特に小学生は耳が敏感だから、正しい発音だろうが間違った発音だろうが、ちゃんと覚えてしまう。先生の発音がおかしければ、生徒の発音もおかしくなる。
■"Charlie, these guys at 'monbusho' never learn it. They say they're gonna teach English conversation. They're gonna teach the kids how to communicate in English. But that's real bull-shit." 「文部省の奴らは何もわっかっちゃいない」と言う。生徒が英語でコミューニケーションができるように教えるなんて、そんなこと不可能だと。センセイは、はじめのうちは、ひょっとしたら、二万人ほどネイティブの先生を雇って、各小学校に派遣して、ガイジンの先生だけに教えさせるのかと思ったらしいが、諸般の情勢(財政的なことなど)を考慮すると、そんなことは不可能だと悟ったらしい。大勢のガイジン教師を募集しても、まず、どれくらいの応募があるかも疑問なのだと。ネイティブのガイジンなら誰でもよいというわけではない。少なくともある程度日本語がしゃべれて、英語を教えるノウハウ(know-how)を持っているプロの教師でなければならない。そういう条件を満たせられるガイジンが沢山いるとはとても考えらないと。せめて大学院で英語教授法(TESOLのような)を勉強したような者なら、一応、プロの語学教師と言えるが、たとえば、アメリカ人やイギリス人の大卒でも、英語がしゃべれるというだけではダメだとセンセイは言うのだ。私もその通りだと思う。
■学校と名のつくところで英語を教えるのは、成果という点から見ると、実り少ない行為だとセンセイは言う。まず、何をもって「成果」と呼ぶかである。学生に英語を教えて、彼らに何を期待するのか?また、どういう方法でその成果を評価するのか?小学生に教える英語は「文法ではない。英会話を教える」のだと文部省は言う。外国人と英語でコミュニケーションが出来るようにさせたいということらしい。要するに英語で話せるようにする(もちろん相手の話も聞き取れて)ということなのだろう。
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vol.013
・小学生のうちから英語下手を養成するらしい-2
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■しかし、多くの人は、「話せるようになる」ということがどういうことなのか、知らないのだとセンセイが言う。まず、言葉(単語)をある程度知らないと、話せるようにはならない。ピストルを持っていても、弾が入っていないと、いくら引き金を引いても、ズドンと弾は出てこない。弾をかなり仕入れておかなければならないし、単語の並べ方も、現在形や三単現のSのつけ方、過去形・過去分詞形の作り方、冠詞の使い方等々など色々なルールも知らないと、しゃべれるようには、とてもならない。
■しゃべれるようになるだけだったら、単語のつづりを知らなくてもいいと言う人がいるかも知れないが、オットドッコイ、つづりを無視して音としてだけで言葉を勉強するのは難しい。テキストを使わず口頭だけで教えるのは大変なのだ。黒板も使えない。せいぜい絵や映像ぐらいしか使えない。だからテキストが必ず使われるようになる。先生とは、教科書がないと調子が狂う者である。テキストには必ず文字が書かれる。だから子供たちは少なくとも単語のスペリング(spelling)は覚えなければならなくなる。
■"You know ,Charlie, what they're gonna do? They may start teaching words verbally first, but they will find out that the kids got to learn how to spell them, too. So, they'll start teaching the spelling and writing. They will find that the teaching how to spell is easier than teaching how to speak English. On top of that they'll soon using 'katakana' to show how to pronounce these words. That's the end of it! Then, they'll start sounding exactly like everybody else, pronouncing English with the Japanese accent." はじめのうちは、耳で単語や文を覚えさせようとしていても、そのうち、つづりも教えないとまずいことに気付き、スペリング(書き方)を教えるようになり、次第に文字中心になっていく。しまいには、発音の仕方もカタカナで表記するようになると、万事休す。皆と同じ日本人訛りの発音になってしまうと、センセイは一人で息巻いている。「全く同感だ」と私も同意して、"If they let native speakers of English teach these kids, they may at least learn good pronunciation." ネイティブに教えさせれば、少なくとも発音だけはよくなると思うと言ったのだが、それも全ての学校でガイジンの先生に教えさせてのことだ。日本人の先生が、いくらテープ(CDでもMDでも)を使ってもダメで、思春期前の子供でも、かなり丁寧に発音を教えないと上手く行かないとセンセイは言う。発音のエキスパートのセンセイが言うのだから間違いない。にわかごしらえの英語の先生で上手く教えられると文部省の役人が思ったのだったら、"They ought to have their heads examined." である。奴らの頭をかち割って調べてみる必要がある。どんなミソが詰まっているのか分かったものではない。もっとも、英語を第二公用語にしようなんて言っている首相がいたくらいだから、日本人全体がおかしくなっているのかもしれない。
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vol.014
高齢者が学ぶ英語
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■今月の11日と15日(9/11/00, 9/15/00)の日経と産経に、最近、高齢者で英語を勉強しはじめる人が増えていると書かれているのを読んで、"Sensei, I hear more older people are studying English recently. Why don't you teach English pronunciation and chunks to these senior citizens? They need a real good teacher like you." そういう人たちに発音とチャンクを教えたらどうですかと先生に聞いてみた。
"You know, Charlie, I've really never thought of teaching old folks. I mean people over 60 or 70. Now, when I come to think about it, they need to learn to speak English since many of them travel overseas these days. They have to speak some English to do shopping, ordering food in restaurants and getting things done at the hotels unless they travel with tour guides who can translate for them." 60歳代、70歳代の人たちに英語を教えるなんて今まで考えてもみなかったとセンセイは言う。最近の年寄り(?)は海外旅行をする人も多いし、買い物や食事の注文、ホテルでの用足しをするには、多少英語がしゃべれないと不便だろうと。グループでガイド付きなら、通訳してもらえるからいいかもしれないが。
■年寄りと一口に言っても、戦争中に英語を勉強しそびれた人もいるだろうし、若いころは英語が嫌いだった人もいるだろう。また、英語は好きだったがしゃべれるようにはならなかったという人も多いだろう。財団法人市川房江記念会(東京)が初心者向けの教室をやっていたり、東京都荒川区の区立老人福祉センターでも60歳以上の高齢者(?)向けの英語教室などがあり、色々ある教室の中でも英語が圧倒的な人気を博していると言う。中学校の教科書を使ってやっているらしいが「それはダメだ!」とセンセイは言う。学校の教科書でいくら勉強しても、若い中学生でも上手くならないのに、年寄りがそんな欠陥教科書を使って英語を勉強しても上手くなるわけがないと。"They'll never learn it! They're using the same teaching materials and method that have been proved to be ineffective for decades. They're absolutely stupid! They ought to have their head examined!" 今までに何人の中学生が英語をしゃべれるようになったと言うのか!過去何十年にもわたって効果が無かったやり方で年寄りを教えようなんて発想するのは「役人か学校の教師ぐらいしかいない」とセンセイは言うのである。
■"I agree with you, Sensei. These English classes will be just like the reception area of a small local hospital where old folks flock together routinely and chat all day long."こういう教室は、近所の病院の待合室のようになってしまうのがオチだと私が言うと "You're damned right. What they really need is not the opportunity to make friends but the one that they can really learn to be able to speak English. You've got to teach them useful chunks and train them how to make these chunks come out of their mouths. What they learn has to be useful and in order to make what they learn useful they have to learn how to pronounce English properly. " センセイは「まさにその通りだ」と言う。チャンクと呼ばれる短い会話文を正しい発音で言えるように教えてやれば、海外旅行に行っても、それらが使えるようになるのだと。
■老人たちがその気に(英語を覚えたくなる)なっているのなら、動機付け(モーティヴェイション、motivation)は十分なわけだから、並みの中学生たちとは違うのである。中高生なら、たいていの奴はイヤイヤで英語の授業を受けているので、やる気の点でも大いに違うし、年寄りにいやな試験などする必要はないから、いかに覚えやすくするかが重要なのだ。しかし、中学高校の英語教師に「覚えやすく教えるノーハウ」があるかというと、そんなものは無いものねだり。だから当家の大先生の登場と言うことになると思うのだが、「ではすぐにやりましょう」と言わないところをみると、何かが引っかかっているのだろう。"Sensei, why don't you go talk to some people at the 'kuyakusho'? They must be looking for a good English teacher like you. They may even pay you to do the job." 区役所に連絡してみてはどうかと私が言うのだが、「うーん」と言って、まだはっきりイエスともノーとも言わない。講師料も払ってくれるかもしれないよと言うと 英語の発音などをある程度まで習得すること出来るかもしれないが、本当に上達させるのは、ちょっと、無理かもしれない。ためしにやってみる価値はあるかもしれないがと言う。
■私は猫だから、人間様がどういう風に外国語を覚えるのかはよく分からないが、古い諺に(an old saying) "It's difficult to teach an old dog a new trick." (老犬に新しい芸を教えるのは難しい)というのがあり、いつも「犬」ばかり例にとってワン君たちには申し訳ないが、かなり難しいことは分かる。老人を対象にした英語教育の成果などは良い学術論文のネタになるような気がするのだが。
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vol.015
軍隊には使えなかった日本語
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■私は猫だから、軍隊にとっては「全くの役立たず」である。ところが、犬は軍隊でも役に立つ。軍隊で猫を使ったと言う話は、人間の歴史の中で、一度も聞いたことがない。
■犬には多くの種類があり、軍隊ではシェパードのようなたくましいのが好まれるようで、国境のパトロールなどでは(特にドイツなどでは)、よくこの種類の犬が使われる。猫にも多くの種類があって、シャム猫とかペルシャ猫というと「高級な猫(?)」ということになっているが、私のようなトラ猫(黄色っぽいのではなく、こげ茶色なのだが)の雑種に言わせてもらうと、純粋種と呼ばれる猫は、生き馬の目を抜くような今の世の中では、金持ちに飼ってもらう以外に、生存競争に打ち勝ってはいけないのである。トラ猫、三毛猫は、全員(全猫?)、雑種であり、日本人も(?)我々同様に雑種だから、意外に強いのである。
■日本人が戦争で負けたのは(外国と戦って)、あのアメリカに嵌められた大東亜戦争(センセイはこう呼ぶ)だけである。まあ、これはセンセイの受け売りだが、私に言わせれば、日本人は一旦戦(いくさ)となれば、大いにその力を発揮するのである。日本人は戦に直面すれば、今の自衛隊員でも、必ず、「勇猛に戦うであろう」と先生は言う。「俺だって軍隊に入って戦うぞ」と言うところをみると、最近は、特に軟弱になったと思われる日本国民でも、一旦緩急あれば、国家の存亡をかけて多くの若者が戦うだろう。私もそう信じている。
■軍隊の話になったので、「軍とことばの関係」について少々考えてみたい。軍隊を動かす「ことば」として、果たして日本語が適しているかどうかということである。日本語というのは、どうも軍隊で使うには不便なことばであるというのは、私にもよく分かる。日本語には「命令的表現は無い」と言っても言い過ぎではないくらいで「立て」、「座れ」、「行け」、「やれ」、「食べろ」、「寝ろ」、「来い」などと、日常会話ではこのような命令表現を使うことはない。犬に対してだって「お座り」、「お手」などと敬語の「お」をつけて言うぐらいだから、相手が人間様なら、絶対と言ってもいいぐらい命令形は使わない。すべての命令的表現は「お頼み申します」、「〜してください」のように「お願いする」ような形を取る。"Please sit down. Would you sit down? " のような表現になり、"Sit down."(座れ)、"On your feet!" (立ち上がれ)、"Move it!" (行動開始せよ)のような表現にはならない。英語では、軍隊ばかりではなく、一般的に命令形を会話の中でよく使う(最後にその例をリストアップするので参照されたい)。
■英語にはこのような命令表現が豊富なので「軍隊用語」には事欠かない。鉄砲の弾が飛んでくるので、弾に当たらないように「頭をひょいと下げて身を低くしろ」と言いたいとき英語では "Duck!" とひとこと言えばすむが、日本語でこれをひとことでどう言うのか、この語学の天才の吾輩がいくら考えても分からない。「頭を下げろ!身を低くしろ!身をかわせ!」でもおかしい。自衛隊では何と言っているのか知っている人がいたら教えて欲しい。
■明治になって近代的軍隊を作ったとき、軍隊で使うことばを、新たに創作しなければならなかったというから、日本語を話す(使う)日本人が大昔から軍国的(militaristic)、好戦的(belligerent)だという通説には同意できない。山本七平氏が「日本語では戦争はできない」と言うのもうなずける。「守護や自生が明確で無い日本語では、軍隊の運営も戦争もできない」ので「特別な軍隊用語が作られた」のだと七平さんが言っていると先生が言う。前出の七平氏の本(ある異常体験者の偏見)の中で、敗戦後、部下は「命令された」と証言し、上官は「命令していない」と証言して対立することがあっても、「部下が必ず負ける」のだと言う。なぜかというと「これには英語の『命令(オーダー)』『命令法(インペラティヴ・ムード)』『命令口調(コマンディング・トーン)』と言ったものとは全く別な、英語的発想では絶対に命令ではないのに、また、どう読んでも絶対に命令ではないのに、実際には命令に等しい拘束を持つ言い方が『軍隊語』にはあったと言うことが、大きな理由の一つなのである」のだと。今の自衛隊にも同じ問題が内包されているはずだとセンセイは言うのだ。今使われている軍隊語がどんなものであるのか、これに関する良い資料が手に入らないので困っているとセンセイは嘆いている。
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vol.016
・軍隊には使えなかった日本語-2
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■命令形表現のリスト
Listen up.
(皆)よく聞け。
Listen to me.
私の言うことを聞け。
Have fun.
楽しんでおいで。
Have a nice day.
ごきげんよう
Have a good weekend.
いい週末をお過ごしください。
Have a little wine.
ワインでも少しどうだね。
Give me a beer.
私に、ビールを一杯ください
Make it fast.
急いでやれ。
Keep talking.
(話を)続けて。
Keep your mouth shut.
黙っていろ
Tell me what happened.
何が起こったのか言ってごらん。
Tell him to come in.
彼に入ってくれるよう言ってくれ。
Get busy!
さあ、始めろ!(忙しくしろ)
Get back to work.
仕事に戻れ!
Get the hell out of here!
ここから出てゆけ!
Take it easy.
無理しないで。
Take your time.
急ぐ必要ないよ(時間をかけていいよ)。
Give that back to me!
それを返せ!
Give me some time.
少しは時間をください
Be careful.
気を付けてね。
Wait here.
ここで待て。
Come quick.
すぐ来い!
Come here.
ここへおいで。.
Go on.
続けて。
Go ahead.
どうぞおやりなさい。
Look where you're going!
どこに目をつけて歩いているんだ!
Look me right in the eyes.
俺の目をしっかり見ろ!
Watch what you say!
口の利き方に気をつけろ。
Watch your mouth.
言葉に気をつけろ。
Hold still, now.
動かないで。
Hold it!
ちょっと待って!
See here!
こらこら!
See you next week.
来週、会いましょう。
Sing along with me.
私といっしょに歌いましょう。
Hang on.
つかまってろ。
Stay away.
あっちへ行ってろ。
Beat it!
消え失せろ。
Wake him up.
彼を起こせ。
Sit down.
座れ。
Stand by.
スタンバイ。
Cease fire!
撃ち方やめ!
Forget it.
(そんな事)忘れてしまえよ
Drive carefully.
安全運転して下さい。.
Run along.
あっちへ行きなさい。
Buy me a drink.
一杯おごれよ。
Leave it to me.
俺にまかせといて。
Stick'em up!
手を上げろ!
Shut up!
だまれ!
Wake up.
起きろ!
Hurry up.
いそげ!
Cut it out!
やめろ。
Stay out of trouble.
トラブルに巻き込まれないようにしろよ。
Turn around.
後ろを向いて。
Stop worrying.
心配するのはよせよ(やめろよ)。
Talk to me.
(黙ってないで)話をしろよ。
Leave it alone.
それにかまうな。(そのままにしておけ)
Throw that away.
そんなもの捨ててしまえ。
Do as I say.
私の言う通りにしてください。.
Hear me out.
私の話しを聞いてよ.
Stop it!
やめて!
Calm down.
頭を冷やせよ(かっかするな)。
Stay where you are.
そこを動かないで!.
Drop it!
下へ置け(落とせ)!
Name it, and you've got it.
欲しいものは何でもあげますよ。
Okay, let him go. OK、
彼を釈放してもいいぞ。
Let go of me!
離して!
Let me help you.
お手伝いしましょう。何をお探しですか?
Let's go.
行きましょう。
Let's wait and see.
少し待って見届けようよ
Let me introduce myself.
自己紹介させていただきます。
Let's get to work.
さあ、仕事に取り掛かろう
Let's take a walk.
歩き(散歩をし)ましょう
Let's call it a day.
今日はこれで終わりにしよう。
Let's go get a beer.
ビールを飲みにゆこうよ。
Let's get out of here.
ここを出ようよ(抜け出そう、逃げよう)。
Let's give her a big hand!
彼女に盛大なる拍手をお願いします。
Don't work too hard.
あまり働かないでください
Don't worry.
心配しないでいいよ。
Don't argue with me.
私の言う事に対して議論を吹っかけるな。
Don't slam the door.
ドアをバタンと閉めるな。
Don't do it.
そんなことするな!
Don't get me wrong.
誤解するなよ。
Don't talk to me that way.
そういう口の聞き方をするな!
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vol.017
談合と外資系企業の日本進出
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■先日、センセイが日本語で文章らしき物を書きはじめたころの原稿を整理していて「談合」について書いた小文が出てきた。それをパラパラとめくったあとで、私の前にポイと投げてよこして、 "Read that and tell me what you think."と言う。猫に「読んでみろ」と言うのだから、全く変わった人である。私が日本語を読むことができるのが当たり前だと思っているらしいのだが、 これでも大分苦労して読めるようになったのだ。猫は、元来、語学の才に長けているのだが、読めるようになるには、それ相応の努力と時間を要するのである。 日本語の場合は漢字の読み方でも「音読み・訓読み」と幾通りもあるのだからそう簡単にはいかないのだ。 とはいっても日本語をやりはじめてから十数年もたつから、たいていのものなら読めるようにいるので、それを読みはじめた。次にその要旨を紹介することにする。
■公共事業でも土木・建設の分野では、工事等に関する入札には[談合」が行われるのは隠れもない事実で、官民を問わず、物品の購入でも談合によって契約が行われることが多いのは、日本人なら誰でも知っていることである。 談合による公共事業の落札が違法行為であることは明らかだが、米国や西欧の先進諸国と比べる、日本では競争入札が、本来のビディング(bidding)のルールで行われることは、皆無と言ってもいいだろう。 純粋な自由競争である入札(bidding)など、この国では不可能なのかもしれない。
■日本の社会では、元来、誰かが「一人勝ちすること」を好まないのである。大きな仕事があったら、できるだけ皆で分け合ってやろうとする。 大きい会社はそれなりのパイにありつき、小さい会社も小さいなりに分相応に仕事の分け前をもらう。 できるだけ公平にパイ全体を分け合おうとするのである。英語で言う「平等主義」(イガリテアリアニズム、"egalitarianism")の考え方が根底にあるから、日本では欧米(特にアングロサクソンの国のイギリス、アメリカ)のように貧富の差が激しくないのである。 学校教育においても、英才教育を否定して、成績が悪い者に照準を合わせて行っているぐらいで(もっともこういう教育方針は先の大戦に負けてから採られはじめたらしいのだが)、給料でもトップとボトムの差はせいぜい十倍、二十倍のレベルで、欧米のように会長や社長の給与がペイペイの者の三百倍などということはない国なのである。 税制にしても平等主義の思想に基づいているから、一人勝ち、勝者総取りなどは許されない国なのである。
■こういう社会で純粋な「競争入札」(コンペティティブ・ビディング、"competitive bidding")が本当に実施されたと仮定してみるどういうことになるか。 例えば、ずば抜けたある企業が、実力で(談合や贈賄などによる裏取引なしに)ある公共事業を落札したとする。 似たような他の公共事業もあっちこっちで落札し、他の企業はそのため指をくわえて見ていなければならなかったとする。 一社だけ仕事を独占して、他社には仕事が回っていかないようになるとどうなるか。 負けたところは、全員、仕事がなくなるわけだから、会社はやっていけなくなるので、人員整理をしたり、倒産したりすることになる。 アングロサクソンの資本主義の理論、自由市場の原理で行くと、勝ったほうの会社が負けた側から整理された人員を雇い入れて、仕事を請け負った側で働けばいいということになる。しかし日本ではそうはならないのである。
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vol.018
・クラスルーム・ティーチングは英語教育には向いていないのかも知れない
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■学校という名のつく所で、集団的に英語を教えるのは、「効果(イフェクト)」の点から見てみると、ひどく非効率的で、良い結果を出すのが大変むずかしいとセンセイは言う。
■「外国語としての英語教育。ティーチング・イングリッシュ・アズ・ア・セカンド・ランゲージ」というのは、学問的にも世界的に大きな分野で、大勢の学者がいかに効率よく英語を習得させるのかを研究している。今や英語が事実上リンガフランカ(lingua franca、共通語に類似するもの)として世界中で使われ、この国のバカな政治家など「英語を日本の第二公用語にしよう」と言うぐらいだから、日本中、英語英語と大騒ぎしている。
■英語教育で中心的な存在は、何と言っても米国で、中でもセンセイの母校のハワイ大学は、この分野では全米一の評判をとっているほど有名な言語学者を有している。センセイも五十歳半ばでTESOL(Teaching English to Speakers of Other Language)と呼ばれる「英語教授法」で修士号(MeD教育学修士号)を取ったぐらいだから、一応、この分野の専門家と言ってもいいだろう。
■今日も家に帰ってくるなり、"You know, Charlie, motivating those who never wanted to study English to begin with and make them learn it is not my job, is it? My students are in their twenties and thirties. They are all adults and don't have to be told to study seriously."
■一クラス二十人ほどの学生のうち二、三人が寝たり、ボケッとしていて、センセイの後について声を出して発音の練習をしないのだと言うのだ。一人前の大人になっている学生、歳も最低十八歳、二十代、三十代もいるし、大卒も二、三人はいるというのに、授業中はちゃんとやれとか、もっと真剣にやれと言うのは仕事ではないだろうと言うのである。
■最近の大学生の受講態度はひどいもので、物を食べたり、飲んだり、隣の学生と喋ったり、ケイタイ電話を使ったり、カセット(今ではMDやCDだろうが)を聴いたり、途中で教室から出ていったり、まあそれはひどいものだという話は、私も色々なものを読んで知っているのだが、
"It must be really tough to motivate these students to study seriously and teach them how to behave. Cats don't have to go to school, so I really don't know what's it really like. Stupid dogs are sent to 'obedience schools' sometimes and they learn to carry out some tasks as well as to become obedient to their masters. Us cats don't have to learn all those tricks, though."
■学生にしっかり勉強するよう動機づけ(モウティヴェイト)るのは大変なことかも知れない。受講態度は普段のしつけの問題だから、彼らを育てた親の責任ともいえるし、小・中・高でマナーを教えられなかったせいかも知れないが、少なくとも大学や専門学校の先生の仕事ではないことは確かだ。受講態度は躾(ディサプリン、discipline 鍛錬、修業、教練、調教、規律)がされているかどうかによってきまることだから、屑のような学生が集まる学校とエリートの集まる学校では違うのだろうが、モウティヴェイション(motivation 動機付け)ということになると、一人の教師の責任というよりは、教育システムとか、学校で勉強することの「価値観」の問題ということになるであろうとセンセイは言う。
■英語の諺に「馬を水辺に連れて行くのは簡単だが、馬に水を飲ませる(飲みたくない馬に)ことはできない」(You can take a horse to water but you can't make him drink.)というのがあるが、英語を覚えたいと思っていない学生にそれを習得させることは並大抵なことではないのは分かる。不可能ののかも知れない。
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vol.019
・クラスルーム・ティーチングは英語教育には向いていないのかも知れない-2
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■猫は学校へ行かないけれど、ワン君たちは訓練学校に入れられるものもいる。警察犬、麻薬捜査犬、救難犬、盲導犬たちはかなりきびしいトレーニングを受ける。もっともワン君たちには、クラスルーム・ティーチングは行われないだろう。個人(犬?)指導ということになるから、彼らのことは人間様には適応しないだろうが、躾(ディサプリン)に関しては、結構参考になることがあるかもしれない。
■「アメ」と「ムチ」という古来より使われてきた方法もある。軍隊の教練などはあまり「アメ」を使わないで、もっぱら「ムチ」が使われるのかもしれないが、スポーツ選手を鍛えたりするときは「アメ」が結構使われる。特にプロ選手として大金を稼げる可能性のある野球、ゴルフ、サッカー、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケー、テニスなどのようにプロになる道が敷かれている世界では、大金という「アメ」が目の前にぶらさがっているから、能力のある者には十分なモーティヴェイションとなる。発展途上国や旧共産圏の国々では、オリンピックでメダルを獲得すると、一生食べていける待遇があったり、高額な報奨金にありつけたりするから、大きなインセンティヴ(incentive 刺激、動機、奨励金)となる。
■英語をクラスルーム・ティーチングで習得させるのに「ムチ」を使うわけにはいかないので(センセイに言わせると、ちゃんとやらない者には「落第」とか「退学」とかいう「ムチ」も使えないではないが)、大抵は「アメ」を使うことになる。この「アメ」がどれだけ魅力的で、いかにおいしいかということになると、これはかなりむずかしい。まず、どの程度英語を習得すれば「アメ」にありつけるのかということがある。大金が稼げるほどのプロ野球選手のレベルが、オリンピックで金メダルを取れるレベルなのか、それとも甲子園にでれる程度の選手のレベルなのか、それとも草野球の選手のレベルなのか。この辺が重要なポイントなのだとセンセイも言うのだが、英語でもどこまで上達すれば「習得した」と呼んでいいのかは、意外と大事なことだと思う。
■英語がしゃべれるようになるといっても、ネイティヴ並なのか、政治や経済、ビジネスに関して、相手(かなり高いレベルの教養を持つネイティヴ)と互角に議論を戦わせることができるレベルの英語発話力を持つことなのか、それとも、単に日常会話ができる程度なのかである。話せるだけではなく、書く能力がどれだけあるかも重要なポイントなので、英語の習得度といっても千差万別である。
■「ムチ」は別として、「アメ」の方だが、英語の習得に対するインセンティヴ(報奨)やモウティヴェイション(動機)となる「アメ」とは、一体、どんなものなか。留学するためにTOEFLで五百五十点、六百点取りたいというのも一つのインセンティヴにはなるかも知れない。英語の専門家や言語学者になって大学で教えたいという人もいるだろう。読売新聞(平成一二年九月二十八日)によると、日本IBMでは「課長昇進にはTOEIC 英語検定で五百点以上、次長以上になるには七百三十点以上取得を条件とする」ということになったそうで、課長や次長になるというインセンティヴもあるだろう。こうなると「アメ」なのか「ムチ」なのか分からなくなってしまう。
■センセイに言わせると、個人的に指導している弟子たちは、モウティヴェイションは問題ないのだそうで、各人、本当にうまくなりたいからセンセイのもとで「発音の習得」からはじめている。あとはどれだけ練習するかという「量」の多少によって上達の度合いが決まるのだと言う。もっとも個人差はあるから、全員が最高のレベルに到達するというわけにはいかないが、クラスルーム・ティーチングとはくらべものにならないくらい、到達度、習得度が違うのだと言うのである。いかに学校と名のつく場所で、多数を対象にして教えることがむずかしいかは、猫の私でも少しは分かるような気がする。世界中の英語教育にかかわっている学者達が、未だに万能薬(panacea、cure-all、elixir)と呼べるような英語教授法をあみだしていないところをみると、英語を教えるということは大変なのだなあと思い、「センセイ、ご苦労さま」と言いたくなるのである。
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vol.020
・クジラを食べる日本人
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"Charlie, do you eat whale meat? I used to do that when I was a kid. It wasn't bad at all. It's a good substitute for beef or pork"
■私にクジラの肉をたべるかとセンセイが聞くのだが、私はアメリカで育ったので、クジラの肉を食べたという経験はない。どうもアメリカではクジラの肉を食べるという習慣は今までなかったので、あまりピンとこないが、馬肉などはドッグフードになるから、クジラの肉もドッグフードやキャットフードの原料になったこともあるかも知れないが、アメリカのペットフードで、特にクジラの肉とラベルにかかれたものがあったとは聞いたこともないので、アメリカ人に奇異に聞こえるかも知れないと、センセイの問いに答えると、センセイは、牛肉や豚肉の代用として、子供の頃、クジラの肉を食べたと言う。日本が戦争に負けて、まだあまり時間のたっていない五十年代の頃だから、クジラの肉(当時は格安だったそうで)でも「肉のうち」ということだったのだろうか、けっこうおいしかったと言う。お母さんがステーキやカツにしてくれたのだそうだ。高価でめったに食べさせてもらえない牛肉のかわりになったので、五十年代・六十年代は学校給食の花形だったのだと言う。
■アメリカではアラスカの原住民が食べるぐらいで、今でも彼らに対して、米国政府は「ホッキョク鯨の捕獲(年間六十頭)を認めている」と水産ジャーナリストの梅崎義人(うめざきよしと)氏が「諸君」の二〇〇〇年十一月号で述べている。クジラの漁獲がほとんど世界的に禁止されてからかなりの年月がたつが、特にアメリカやイギリスでは、日本人にクジラを獲らせないようにしようという動きが盛んで、日本に対して調査捕鯨もさせないようにしようアメリカ政府は圧力をかけてきている。日本人はクジラを食べたいが故に、調査という名目で捕鯨を継続しているのだと。どうもクジラを食べるのはよくないと言っているらしい。クジラを食べるのは、日本の他には、エスキモーだとか、アイスランドの人たちのように多くはないのだが、「クジラを食べるな」と言う人たちの本音がどこにあるのか、今一つ分からないのだとセンセイは言うのである。
■九月十三日に「アメリカの二百カイリの経清水域での漁獲(普通の魚の捕獲のこと)を禁じる制裁設置」を米クリントン政権が発動したのだが、これは日本が調査捕鯨の対象としてマッコウ鯨とニタリ鯨の二種類を加えたことに対する制裁なのである。
■日本はIWC(国際捕鯨委員会)が推定する北西太平洋のマッコウ鯨十万二千十三頭のうち十頭、ニタリ鯨二万一千九百一頭のうち五十頭以内を獲る計画なのだという。梅崎氏によると、今年商務長官になった日系二世のミネタ商務長官が八月二十七日付けのワシントン・ポスト紙で「?調査は鯨を殺さなくても達成できる、?調査で獲る鯨肉が市場に流れレストランのメニューに登場するのはおかしい、?日本に対する貿易制裁を大統領に求めることを決定しなくてはならない」と指摘していると言っているが、梅崎氏は国際捕鯨取締条約八条に「締約国は、自国民が科学研究所のためにクジラを捕獲し処理することを認可することができる。捕獲したクジラは実行可能な限り(製品として)加工しなければならない」とあるので、獲ったクジラを調査したあとはできるだけ食料として利用しなければならないのだと指摘しているのである。
■米国政府が、二〇〇〇年の九月、十月という時期にクジラの調査捕獲(リサーチ・ホエイリング)(research whaling)を問題にして、日本に制裁処置を取ったりするのは、十月七日の大統領選挙に際して、環境保護グループがゴア副大統領を応援しているのに追い風を吹かそうという意図が見え見えだとセンセイは言うのだが、多分、その通りなのであろう。アメリカという所は、国内の政治的な目論見が最重要視される国なのである。普通では、十何万頭いると言われるマッコウ鯨(ブライズホエイル)、ニタリ鯨(スパーム・ホエイル)(Bryde's and sperm whales)の六十頭を調査のため殺すぐらいで、制裁処置発動まではやらないのである。この国際捕鯨取締条約の締約国政府は科学的調査の目的でクジラを取ってもよいことになっていて、日本の外にアイスランド、ノルウェー、韓国もR・Wをやったことがあり、日本は南氷洋ではミンク鯨を百頭以内保護してきたのだと梅崎氏は言う。クジラの頭数やそのデモグラフィー(年齢・雄雌などの情報)を調べていて、例えば、「南氷洋でのクジラのエサは、九十九%がオキアミ」だが「北西太平洋ではオキアミ以外にイワシ・サンマ・イカ・サバ・スケソウダラ・サケ」などを食べていることが過去の調査で分かったと梅崎氏が言っていて、日本の漁業にも大きな影響を与えているらしいのである。
■日本の年間漁獲量は六百六十万トン(九九年)だが、「大型のマッコウ鯨一種類だけで、日本の漁獲量の五倍以上のサカナをエサとして食べているから驚く」と梅崎氏も言っている。日本鯨類研究所の分析によると、世界の漁獲量年間約一億トンと比較して、その四倍の四億トンのサカナをクジラ全体で食べているのだというからものすごい量なのである。だから、あまり頭数が増え過ぎないように、間引かなければならないのだとセンセイも言うのだ。
■R・W(調査捕鯨)にはお金がかかる。一回の調査に約四ヶ月ぐらいかかるそうだが、費用が十七億円もかかるのだそうで、副産物の肉・皮・内臓などを売っても十二億ぐらいにしかならないから、五億円は赤字になり、この赤字分は政府持ちということになるのだそうだ。日本とちがってクジラの肉を食べない国では、調査といっても政府が全額負担しなければならないから、おいそれと調査できないのである。
■一九九〇年のIWCの科学委員会の結論では、南氷洋ミンク鯨の資源量は七十六万頭以上あると推定され、年間二千頭を捕獲する限り、南氷洋ミンク鯨は満限状態になるまで増え続けると梅崎氏は言うのである。
"What's wrong with eating whale meat? The Americans and Brits may not eat the whale meat but that doesn't mean other people should not eat it. The Muslims don't eat pork but the Americans do. The Americans on the other hand, eat beef but the Hindus don't."
■クジラの肉を食べてどこが悪いのかということなのだセンセイが言う。イスラム教徒はブタ肉(ポーク)は食べないがアメリカ人やイギリス人はブタを食べるし、アメリカ人は牛肉(ビーフ)を沢山食べるが、ヒンズー教徒は牛を食べない。インド人(ヒンズー教徒の)は牛肉を食べないから、アメリカ人も食べてはいけないと言われたら、牛肉を食べるのを止めるのかということだとセンセイが言う。何を食べるかは(又、何を食べてはいけないのか)は、文化や宗教によって違うのであって、人肉(チャイナなどは黄文雄氏に言わせると、何千年も食べてきた歴史がある)以外なら、大抵、何を食べてもいいと思うのだが、欧米人は、犬・猫・馬を食用にすることを極端に嫌う。もっとも、猫だけは絶対に「食べないでほしい」と私は主張するのだが。
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vol.021
・メガフロートが航空母艦のかわりになる
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■日本の領海内ならば、どこにでも設置することができるから、飛行距離の短い(左翼系政治圧力におもねって、わざと短くした)日本のF15やF2でも北朝鮮やレッド・チャイナを攻撃して帰ってこれるようになるから、今、自衛隊がほしがって予算化しようとしている空中給油機が調達できなくても、メガフロートも相手国に最も近い所へ持って行けば、大きな役目を果たすことができるようになるとセンセイが主張するのである。
■航空母艦(エアー・クライス・キャリアー)は、どこへでも飛行場(空母自体)を持って行けるという利点はあるものの、原子力空母以外は、空母自体を動かす燃料の補給も大変だし、また空母を護衛するための艦艇も必要で、これらの護衛艦も空母が走っている間、走り続けなければならないので、その燃料も大変である。しかも空母上の発着艦用滑走路の長さも短いので、空母の速力が戦闘機発着に重要な役目を果たすので、止まっているわけにはいかない。しかし、メガフロート飛行場なら、停止状態で使うわけだから燃料の問題はないし、滑走路の長さも十分にとれるし、空母よりももっと大きなスペースが利用可能となる。護衛の艦艇も空母のときよりも動きまわらなくてもすむので一挙両得以上のメリットがでてくる。米海軍のように空母専用の戦闘機や爆撃機を開発する必要がなく、空軍のものを使えばいいし、特別な発着操縦技術を習得する必要もなくなるので、既存の空軍パイロットの併用ができる。
■空軍とくらべれば、多少機動性に劣りはするが、陸地(島でもいい)に隣接できれば、普通の空軍基地と変わりないから、隊員も上陸に住んだり、遊んだりすることができるし、司令部もメガフロート上に設置できるし、又、陸上に設置してもよい。
■メガフロート空軍基地“エアーフォース・ベース”(軍事用空港“ミリタリー・エアー・ポート”と呼んでもよいし、メガフロート・エアー・ステーションと呼んでもよいし)を短期間に、例えば北朝鮮に近い隠岐でも対馬、また台湾に近い石垣島・西表島・与那国島へでもタグボートで引っ張って行けば、航続距離の短い日本も戦闘機でも目標相手を攻撃して帰ってきて、給油して、再度攻撃に行ける。特に台湾の防衛には大きな支援となるだろうとセンセイは言うのである。何せ、与那国島からなら、晴れた日には台湾が目視できるぐらいの距離なのだ。いくらレッド・チャイナが台湾を攻撃したいと言っても、米空母と日本のメガフロート空軍基地が与那国島あたりにできれば、米空軍機も利用できるから、台湾の五百機に日本の航空戦力を加えれば、優に千機以上を動員できる。
■日米台の千機にのぼる最新鋭機に対抗できるチャイナの戦闘機はロシア製のスホイ27が五、六十機しかなく、他に五、六千機を所有しているが、これからは日米台にとって、全く相手ならないくらいの性能しか持っていない昔の飛行機だから、ケンカにもならないとセンセイは息まいている。
■しかし、桃井真氏が二年前(平成十二年二月)に書いた「二〇〇一年日本の軍事力」(祥伝社)によると、中古の航空機も含めて六〇一〇機の爆撃機や戦闘機をチャイナは持っていて、アメリカの四四九〇機を大きく上回っているし、海軍力も総トン数一〇五万トン、潜水艦八九隻を含む九四〇隻の艦船を持っているというから、決してあなどれないと私が言うと、「一筋縄ではなかなかやっつけられないかも知れないが、日米台の軍事力にはまだ歯が立たないだろう」とセンセイは反論するのだが。
■メガフロート・エアー・ステーションを九州のどこかに、一つや二つ浮かべておいて、平時は民間の空港と軍事用空港として共有する形でもよいし、軍事専用として、航空自衛隊の基地の付属施設として配備しておいてもいい。短期間に移動できる状態にしておければいいのだとセンセイは言う。
■ 空中給油機の導入を防衛庁は、今、プッシュしようとしているが、これは大いにやるべきだとセンセイは言う。これは、一挙に何機、何十機でも入手可能で、アメリカから買ってくるだけでいいのだから、あとは予算の問題なのかも知れないが、これには訓練にかなり時間がかかると思われる。メガフロートのいいところは、モジュラー式にいくらでも大きくできることだろうと思う。移動する場合でも、バラバラにして移動することができると思うので、タグボートで引っ張って行けば、例えば、佐世保から対馬・隠岐・与那国島まで曳航するのに、大して時間はかからないだろうと思う。日本のように専守防衛をモットーとしている国では、日本の近海のみが、その移動範囲だから、インドやヨーロッパ、南米の方まで出かけて行って「ドンパチ」やるわけではないので、ある意味では、所有する必要はないのかも知れない。センセイは「空母三隻所有論者」だが、メガフロート・エアーポート(エアー・ステイション)をいくつか持っていれば、それで十分なような気がするのである。メガフロートを活用すればすごいということでは、私もセンセイも同意見である。
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vol.021
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これからお母さんになる人、将来いつかは子供を生みたいと思っている 人は、生 まれてくる子供のために、今のうち英語の発音をマスターしておきなさい
■"Have you read The Daily Yomiuri today, Charlie?"と家に帰ってくるなり読売の英語紙を読んだかと先生が聞く。毎朝、英語紙は自分が学校や事務所に出かけるとき持って行くので、私はいつも、センセイが帰宅したあと、持って帰ったものを読んでいるので、まだ見せてもらっていない新聞を「読んだか?」はないだろと思うのだが
"No, I haven't read it yet "と言うと、チャイルズ先生(Marshal R Childs, E &. D.)のザ・プラクティカル・リングイスト(The Practical Linguist 実用面を説いてまわる言語学者とでも訳せばいいか)と言うコラム(平成十二年十月二日)に非常にいいことが書いてあったと言うのである。
"He says that"" the part of language that is built into the baby's neural circuitry before birth can hardly be alienayed or displaced by another language" 生まれる前の赤ちゃんの神経回路に入った言葉ある構成部分をいうものは、他の言葉によって疎外されたり、追っ払われたりしないのだとチャイルズ先生が言うのだと。
■センセイはあまり小さいときから、母国語以外の言葉(特にその裏側にひそんでいる文化が母国語のそれと大きく異なる場合は)を子供に覚えさせないほうがいいという意見の持ち主だったので、この意見によって、頭をガツンとやられたような気になったのだと言うのである。要するに、まだ日本的な物の考えが固まっていない時期に、英語のように西洋のロジックを基盤とした言葉を覚えさえると、西洋ロジックの優位性(善悪の問題ではなく、例えば、日本的な物の考え方、価値観と西洋のロジックが戦ったとき、どちらが強いか弱いとかいう意味での)にやられてしまって、日本語な価値観を保持できなくなるので、大人になってこの国でうまくやって行けなくなるから(多くの帰国子女がかかえている悩みだが)、現在のように思春期を越えた時期、中学生の頃から英語を学ばせればいいと考えていたのである。
■しかし、チャイルズ先生の"Because of the speed with which young brains learn, second-language learning should begin as early as possible if "not prenatally." (若い脳が持つ学習スピードを考えれば、第二言語はできるだけ早い時期、お母さんのお腹の中にいる特からでもはじめるべきだ)を聞いて、センセイもちょっと考え方を変えたらしいのである。
チャイルズ先生が言う通り、赤ちゃんは、生まれる前の三ヶ月くらいの間、母親の声を聞きながら、最初の言葉の勉強を始めるのであるから、母国語の言葉のことをマザー・タン(mother tongue)と呼ぶのである。赤ちゃんが聞くのは母親の声であって、他の人の声ではない。赤ちゃんが好きなのは母親の発音する音や抑場(イントネーション)、リズムなのであって、母親がしゃべる言葉を聞いて、音ばかりではなく「文脈の学習」(コンテクスト・ラーニング)をするのである。母親の感情(ストレス・くつろぎ・眠り・目覚め・怒りなど)を赤ちゃんは経験するのだとチャイルズ先生は言う。こういうことなら私も分かるのである。
■ではこれからお母さんになろうとしている人は、何をすればいいのかという疑問に対してチャイルズ先生は「どんな場合でも、どんな言葉を使うときでも自然体でやればいい」のだと言う。とにかく、赤ちゃん言葉を使ってはいけないのだそうだ。自然体でしゃべり、日常活動をすればいいと言う。赤ちゃんが学習することは、全て、お母さんを通してされるので、お母さんの出す音の「質」が重要になるのだと、うちのセンセイが気づいたのである。
日本語の「音」もさることながら、もし、お母さんが赤ちゃんに「上質の英語」の音を授けたいと思ったなら、自分が「質の高い音」が発音できなければならないと結論づけたのだ。
"you know, Charlie, I wanna tell those young woman or mother-to-be ,ought to get their English right, I mean to lean haw to pronounce it right, otherwise, than won't be able to teach their kids proper English even if they wanna teach them in their earlier stage"
■子供には、できるだけ早い時期に英語を教えたほうがいいということになれば、これから母親になる女性は、まず自分自身が上質の英語、特に音声学的に質の高い英語を身につけなければいけないことになる。
子供が生まれる三ヶ月前ぐらいから、お腹の赤ん坊に英語教育をしはじめるのが有効だということになると、日本の教育ママたちは誰でもやりたくなるのに違いないのだとセンセイは言うのだ。そのためには、母親の出す音がよくないとダメで、お腹の中で悪い音を聴かされ、それを覚えて生まれてくるのでは悲劇だと。「赤ちゃんにとっては、母親の出す音しか興味がない」わけだから、テープをいくら聞かせてもダメなのである。
母親がよい発音で、正しいイントネーションで、心地良いリズムで、マザーグースのような詩などを声に出して読んでやったりすれば、お腹の中にいる間から、英語に慣れ親しんで、そして、生まれてからも引き続き母親の声で色々な単語などを教えてやれば、その効果てきめんのはずだろうとセンセイは言う。
マザーグースの音読もいいだろうし、英語の歌を歌うのもいいだろう。こういうことができるようになるには、早目に音の修行をしはじめることが肝要なのだと言う。
■一般的に、日本人の英語の発音はひどいことで有名だし、しゃべるのも下手だということは世界中で有名なのだと多くの人が言うけれど、それは仕方ないだろう。中学や高校の先生の発音がひどいから、生徒も必然的にそのひどい発音を覚えてしまう。しかし、本当に発音がうまくなりたかったら、センセイのような発音の専門家の知識を身に付け、練習すればいいのである。センセイの弟子たちは全員うまくなっている。センセイに言わせれば、独学でも発音をマスターする(完璧にマスターできないにしても)ことができるのだそうだ。センセイは、発音に関する本を読んで、あとはDVDとかCDを参考にして練習すれば、やってやれないことはないと言う。ただし、外人の先生のいる会話学校へ行けば発音がうまくなると思ったら大間違いで、外人の先生はよほどその分野の専門家で、しかも音の出し方をていねいに教えられるぐらいの日本語がしゃべれないと、発音は教えられないとセンセイは言う。「俺のまねをしろ」ではテープを聴くのとあまり変わらないからである。本当にうまくなりたい人は、是非、うちのセンセイに連絡(コンタクト)をとることをお奨めする。
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