我が英語渡世
第一章 ニューヨークは第二の故郷(ふるさと)
3- ワークホリックは日本人の専売特許にあらず
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トレイニーの期間が終わり、アシスタントAEになったので、一応個室をもらうことになった。個室といっても、窓側のながめの良い部屋ではない。廊下をはさんだ内側の窓のない部屋で、ドアがついていない。この辺に、窓側に部屋をもらえる人たちとの差がある。
ボッブ・クライアーの部屋の向い側に私の部屋があり、彼の部屋と私の部屋の中間は廊下になっているが、ここに秘書のデスクがある。廊下といえども三メートルぐらいの幅があるので、大変ゆったりしていた。私の部屋はそう狭くはない。五、六坪位の広さがあり、接客用のソファーまで一応ついていた。
秘書はボッブとの共有だが、もちろん、上司であるボッブの仕事が最優先される。だから急ぎのタイプを頼む時などは大変だから、常日頃から、昼食などをご馳走して、ご機嫌をとっておかないと、いざという時に仕事が間に合わない。安月給の身では大変な出費だが、美人秘書なら十分に採算がとれたと感じるから不思議である。
ボップ・クライアーの当時の年齢は、三十九歳か四十歳だった。身内は老人ホームに入れてある母親一人という独身者(ひとりもの)で、結婚の経験は一度もない。非常に頭のよい男だったが、高校しか出ていないせいか、大卒に対してはかなりコンプレックスを持っていた。
メイル・ルーム(郵便物を取り扱うセクション)を振り出しに、トラフィックを何年もやり、苦労してAEになった男だから、仕事はよくできた。私も彼から学んだことが沢山ある。米国の広告業界は実力の世界だから、前にも言ったように、学歴は関係ない。しかし、高卒のAEは非常に少なかった。彼の年俸は当時一万六千ドルぐらいで、私の倍以上もらっていた。
今から考えてみると、典型的なワークホリック(その頃は「仕事中毒」という新語はできていなかったが)で、仕事中毒、仕事の虫だった。ワークホリックというと、我々日本人が代表選手のように思っている人が多いが、仕事中毒患者はどこの国にもいる。朝起きて夜寝るまで、頭の中は仕事のことばかり。そういう男がボッブ・クライアーだった。
ボッブは上司、友人というだけではなく、英語を書くことに関しては、私の師匠といっていい。別に月謝を払って教えてもらったわけではないが、仕事を通して教えられた。私がメモやレター、レポートを書くたびに、大変きびしく直された。それも、学校の先生などのような手ぬるいものではない。仕事で使う文章だから、徹底的にいじめられる。
彼の指摘する個所は百パーセント私に非のある文章だから、直されるとぐうの音(ね)もでない。文法上の問題よりも、言い回わしや論の進め方に関するもので、いつも彼が正しい。こちらは恥ずかしいやら、なさけないやらで、穴があったら入りたいぐらいだった。常日頃、自分はアメリカ人と変らないぐらい英語が上手(うまい)と思っているわけだから、間違いを指摘されると、頭にカッカとくる。
後述するが、英語で文章を書くことを考えると、英語をしゃべることは簡単である。会話などちょっと練習すれば、誰にでもできるようになると言っても過言ではない。パンチのきいた英語らしい文章を書くことは、未だにできないので苦労しているぐらいだ。
彼とはよく一緒に酒を飲んだ。ボッブはアル中といってもよいほどの酒飲みだが、いくら飲んでも紳士道をくずす男ではなかった。彼はまた食道楽でもあったので、二人でよく美味物(うまいもの)を食べに行った。こういうわけだから、二人とも一年中、金欠病でピイピイしていた。金欠病はどうも私の快癒(かいゆ)することのない持病らしく、長年この持病には悩まされている。
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