我が英語渡世

第一章 ニューヨークは第二の故郷(ふるさと)

8- 会社を首になると死が待っている

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 プロダクション・マネジャーだったジム・コネリーの死のことがまず頭に浮かぶ。WW&B社とMJ&A社の合併の時、残念ながらジムは首になった。それから二カ月後、彼はこの世を去ったのである。別に自殺ではない。

 広告代理店業は「胃潰瘍になる商売」と呼ばれるぐらい厳しい業界である。前にも述べたように、完璧度が要求され、誤植一つ許されない。入稿のシメ切りに遅れることは誤植以上に許されない。プロダクション・マネジャーにちょんぼは許されないから、最後には胃にくるのである。

 ジム・コネリーの胃は胃酸過多で穴だらけ、ひどい胃潰瘍の持ち主だった。英語でこういうのを「出血している胃潰瘍(ブリーデイング・アルサー)」と呼んでいた。だから、医者は酒とタバコを禁止していたのだが、生来酒好きのジムには酒を完全に絶(た)つことなどできないから、隠れて、時々ワインを飲んでいた。

 彼は五十代後半の下腹がつき出た赤ら顔の人のよい男で、私など、彼には大変よくしてもらった。しかし、彼の年齢になると、次の仕事はなかなか見付からない。おまけに、ブリーディング・アルサー(ひどい胃潰瘍)である。他の業界にでも移れば仕事がないわけではないが、広告でメシを食っている人間が他業界に移ることなど考えられないのである。それほどエキサイティングな仕事なのだ。

 ジムにとってはよほどのショックだったのだろう。多分酒をまた飲み始め、首になったショックから回復しないうちに、胃の方がギブ・アップしてしまい、死んでしまったのだと、私は思った。半分は自殺だったのかも知れない。

 もう一人はテレビ・ラジオ・プロダクション担当副社長のカール・リグロッドだ。彼も年齢は六十歳ぐらいだった。小男でハゲ頭、あごヒゲをはやした小肥りの男だったが、パイプがよく似合った。ベテランのプロデューサーだったが、クリエイティヴィティーはかなり枯渇(こかつ)ぎみだった。タイトルは副社長だから、給料もそれなりの多分年俸三万ドル以上は取っていたと思う。

 副社長というタイトルはアメリカでは部長職で、上級副社長が日本の常務、筆頭副社長が専務というところだ。広告代理店では多少乱発ぎみで、副社長は十人以上もいた。昇給のかわりに、このタイトルを与える代理店がかなりあったから、少なくとも広告業界ではたいして価値はなかった。

 カールは合併の時MJ&A社に移り、MJ&A社を首になったのも、私が首になってから半年も後のことであった。

 カールの場合はジム・コネリーと違い、特に身体が悪いわけではなかった。少なくとも身体が悪いという話など一度も聞いたことはない。しかし、首になって二カ月後に、彼も死んでしまったのである。カールの話は私にも、仲間たちにも大変なショックだった。次の就職先がなかなか決まらないのと、気取り屋の自尊心が首になったことで著しく傷ついたかして、そのショックで死んだのだろうと、我々はうわさした。

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