我が英語渡世
第二章 ニューヨークの素敵な仲間たち
13-ニューヨークのピアノ・バー
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MJ&A社のすぐ近 日本語でバーというと、酒場のこと。酒を専門に飲ませるところという意味である。クラブもバーも同じように使われ、ホステスとカタカナで呼ぶ女給のいる店もいない店もある。今時、カフェの女給とかバー、クラブの女給と呼ぶ人もいない。
アメリカではバーといえば、レストランの一角にカウンターのある酒を飲ませる場所で、日本のようにホステスなどいるわけではない。ホステスがいるバーは、クリップ・ジョイント(不当な金を要求する下等なキャバレー)とかジップ・ジョイントなど呼ばれ、ぼられる酒場にきまっている。あとは女のいない、西部劇に出てくるようなサルーン的な、日本でいうならパブ的な下町の酒場である。
紳士・淑女を自認する人たちはレストランのバーで酒を飲む。五時半や六時になっても、満員電車のごとく混まないレストランは料理もまずいレストランである。お客が立って飲むほど混む店にしか、私は行かなかった。
レストランのバーも八時を過ぎると、食事のお客はテーブルに座っているから、ガラガラになり、カウンターに数人がたむろしているという状態になる。私もこの時間になると、一たん自分のアパートへ帰る。女の子とデートがある時は、シャワーを浴びて、着替えをし、九時過ぎに女の子を迎えに行く。だから、食事は十時過ぎということになる。
夜遅くまで一人で飲む時は、よく「ステイク・ロー」という店に行った。この店も三、四年前にはなくなり、今ではディスコになっている。
四十三丁目の通りの三番街とレキシントン街の中間にあったステイク・ローは、一応はレストランだが、ピアノ・バーとして知られた店で、独身女性客が多いので、彼女たちを目当に男性客が集まる、いわゆるスタッグ・バーと呼ばれるタイプのバーであった。
喜劇俳優のグラウチョ・マークス(トーキー時代の映画で有名な俳優)そっくりの、通称グラウチ(grouchとは「気むずかし屋」という意味)と呼ばれていたピアノ弾きがこの店にいた。彼はレバノン系で、年齢は六十歳を越していたが、彼の伴奏で私はよく歌を歌った。
歌の上手な連中がよく集まった店だったが、早い時間も遅い時間もよく混む店で、午前四時まで営業していた。この店にも多くの飲み仲間がいて、グラウチなどは私の顔を見るたびに「支那の夜」を弾く。私に歌えと催促するのである。
彼の収入はほとんどチップだから、気前よくチップをやっていた私は、上得意の一人だったのだろう。私の歌に聞きほれる女性も多く(?)いたぐらいだから、私にとっては楽しい遊び場の一つであった。
ニューヨークにはピアノ・バーがかなりあり、ステイク・ローはその中でもましな店で、私が唯一の日本人常連客だった。
ステイク・ローからそう離れていない四十五丁目か四十六丁目の通りに「ピンク・プードル」というピアノ・バーがあった。ピアノ弾きは七十歳を少し越した年寄りの黒人だったが、仲々上手なピアノで、唯一の自慢は息子がコンサート・ピアニストだということだった。
ピンク・プードルはステイク・ローと違い、お客同士が親しくなるというような店ではなく、暗い感じの場末の酒場という雰囲気だった。時々、アル中の年老いた黒人の元ミュージシャンがやってきて、レギュラーのピアノ弾きが休憩する時、ピアノを弾く。一杯おごってやると喜こんで、単調だが哀愁をおびた一九二〇年代のプルースを弾いてくれる。
彼が奏でる貧困のしみこんだブルースを聴いていると、気分の沈んでいる時などは涙が出そうになる。
ピアノ・バーには、このようなアメリカ人ばかりが行く店と日本人がよく行く店とがあった。ジャパニーズ・ピアノ・バーがそれで、ニューヨーク在留の日本人サラリーマンたちの溜り場である。主なピアノ・バーは当時三、四軒ぐらいで、「心と心」などは白人客たちもよく来ていた。
異国での無聊(ぶりよう)をなぐさめるため演歌放吟するといえば聞こえはいいが、カラオケ好きの日本人がニューヨークにも沢山いたというだけである。
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