我が英語渡世
第二章 ニューヨークの素敵な仲間たち
14-スター予備軍の涙ぐましい努力
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MJ&A社のすぐ近 日本語でバーという もう一軒よく行った店に「トップ・オブ・ザ・シックシーズ」というレストランがある。今でも健在で、バーテンたちも十数年間同じメンバーである。
五番街の666番地のビル最上階にあるレストランだから「The Top of the Sixes」と呼ばれるのだが、このレストランも広告マンのよく集まる店だった。三年前に行った時も、その前に寄った時も、店内の造作も相変らず同じで、未だにこのレストランで働いている古株のウエイトレスも二、三人残っている。
ここのウエイトレスたちにショー・ビジネスのタマゴたちが数人働いていた。コニー・ハンブライトはオペラ歌手のタマゴで、四分の一はアメリカ・インディアンの血の混った私の好きなタイプの好(い)い女だった。この店ではコニーのルーム・メイトのパトリシアもカクテル・ウエイトレスをやっていた。ブロードウエイ・ミュージカルのコーラス・ガールの一員で、コニー以上の美人で、少々近寄りがたいところがあった。もう一人は名前を忘れてしまったが、喜劇女優を目ざしていた大柄の大変愉快な娘(こ)だった。
この三人のウエートレスの中で、一応、プロとして食べていたのはパトリシアだった。一年のうち四カ月から六カ月は役がついて、その間はアルバイトをしなくても食べて行ける。大抵は地方公演の仕事だから、旅に出る。この期間は劇団の方から宿泊代、食事代、旅費は出るし、給料の方もユニオンで決められた最低のシングル・スケール(当時週給二百ドルぐらいだったと思う)が支給されたから、仕事さえあれば十分に生活して行ける。 だが、コーラス・ガールでは一年のうち半年も働ければましなほうだから、あとの半年は、次の役がつくまで、アルバイトをしなければならなくなる。臨時(テンポラリー)の秘書、タイピスト、ウエイトレス等なんでもやり、とぼしい収入の中から、歌、踊り、演技のレッスン料を払いながら、チャンスを待ち続けるのである。
MJ&A社でタイピストをしていた男優のタマゴ(彼の名前も忘れてしまった)も女性タイピストたちの中で、黒一点、朝から晩までタイプを打ち続け、チャンスを待っていた。彼とは時々酒を飲んだが、生活費とレッスン代で収入が消えてしまうから、飲み代に事欠くとこぼしていた。
俳優のタマゴたちはよくテンポラリー・タイピストやウエイター、ウエイトレスとして働いていた。大きな会社の正社員とならないで、役がつき次第、いつでもやめられるようにという配慮から臨時の仕事ばかりするのである。しかし、臨時の仕事の賃金は高いわけがないから、生活するのが精一杯ということになる。
だが、米国の芸能界は一回チャンスをつかむと、大金持になれるチャンスがある。バーバラ・ストライサンドなどもその典型的な一人であろう。バーバラ・ストライサンドは大歌手、大女優だが、私がニューヨークに行く少し前までは無名の貧乏歌手であった。彼女がまだ無名の頃、グリニッチ・ヴィレッジのある店(バンドの入っている)に行き、飲み物一杯だけで三時間も四時間もねばり、バンド・マスターから、「そこのファニー・ヴォイスちゃん、一曲歌うかい」と、お声のかかるのを待ち続けていたという。
人前で歌うチャンスを作るということがいかに重要かは、今日の彼女を見ればよくわかる。お客の前で歌うことは、どこで誰が聞いているかわからないから、自分の売り込みに大きなプラスになるのである。
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