我が英語渡世
第二章 ニューヨークの素敵な仲間たち
21-またもや敗北するところだった日米繊維交渉の一九六〇年代末
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中央大学教授・東京大学名誉教授の佐伯彰一の『外から見た近代日本』(講談社学術文庫)に、「仮想敵としてのアメリカのイメージは、日露戦争後、さらに一九二〇年代初めと、しだいに多層的につみ重ねられてきたのだが、一九三〇年代に至って、ナショナリズムの敵愾心(てきがいしん)と、相手の弱さの意識とが、まことに好都合に相より助け合い、ついには一つに結びつくようになったのではあるまいか」と、書いている。また少年期の読み物でも「日本と米国がいつかは戦う」というストーリーが多く、全国民的にアメリカは仮想敵国だという風潮があったということは、我々のように、戦後に小学校へ入った年代の者にとってはショックである。
我々の年代の認識では、一九三〇年代にアメリカにこづきまわされて(、、、、、、、、)、それに耐えられなくなり、「窮鼠猫を●む」という状況で真珠湾攻撃(英語ではSneak Attack of Pearl Harbor=卑怯な不意討ちと呼ばれる)が行なわれたと思っている者が多い。「とくに、宿命的な弱点を内にはらんだ病めるアメリカ、巨大だがもろい国、広大だがふがいない国というイメージは、一九三〇年代の日本人のうちに幅広く浸透した。そこで、未来戦争における仮想敵としても、案外な弱点をさらけ出す相手、とくにいったん不利な状況に落ちこめば、内的もろさを露呈して、がらがらと崩れかねない国という印象が作られていったのも止むを得ない」というイメージを日本人が持っていたということなどは、戦前に青年時代を過した人たち以外には実感がつかめないであろう。
これに似た感覚は、一九六〇年代後半から日本人にめばえ出したような気がする。ニューヨークに来る日本人の中には、日本の方が優秀だと言う人が多くいた。現時点でも「日本の方がもっと優秀だ」と思っている人ははるかに多い。「弱点を内にはらんだ病めるアメリカ」をジャーナリズが過去十年間、さかんに強調してきたことも影響しているだろう。
日露戦争後の一九二〇年代、一九三〇年代の「一般大衆にまで浸透した対米認識」と現在のそれの違いは、戦争能力ではなくて、経済力においてのみの認識だが、意外と大きな危険を内蔵していないと誰が言えるだろうか。戦力でなくても、経済的に「弱点を内にはらんだ病めるアメリカ」などとあなどっていると、何が起こるかわからない。
日米繊維問題がピークに達したのは昭和四十五年頃である。私の飲み仲間で大手繊維メーカーのバーリントン・インダストリー社のある事業部の副社長をしていたトムが、ある夜、かなり酒を飲んだあと突然、私にこう言い始めた。
「お前が日本人だから言うんじゃないが、日本には本当に腹が立つ。お前も知っているように、アメリカの繊維業界は日本の輸出攻勢で破滅寸前なんだ。このまま放っておくと、倒産が続出する。だから日本政府に頼んでいる。輸出を抑制してくれと」
彼は私にアメリカ繊維業界の苦況を説明し、現状では日本のメーカーに価格の面でも、品質の面でも、たちうち出来ないことを述べた。その理由としては、設備の老朽化、高賃金、労働者の質の悪さをあげて、こう言うのだ。
「競争力をつけるには時間がかかる。輸入制限という伝家の宝刀も抜きたくない」
「我々アメリカ人は自由貿易の信奉者だということを誇りにしている。だから輸入制限はやりたくない。だが、この業界を全滅させ、失業者を大量に出すわけにはいかない」
「この業界では南部の黒人が沢山働いている。彼等の生活も守ってやらなきゃならないだろう」
「だから、日本政府に少々手加減してくれと頼んでいるんだ。だがどうだ。ジャップどもときたら、汚い手を使って、のらりくらりと返事をしぶって、こっちの頼みを聞いたふりをしてるが、何もしない」
「これぐらいの頼みを聞いてもいい義理が、日本にはあるはずだ。第二次世界大戦で日本が負け、ソ連が半分よこせというのを、ドイツや朝鮮やベトナムのようにさせなかったのはアメリカだぞ。このことを忘れたのか!」
「日本が南北に分割されなかったのは、誰のお陰だと思ってるんだ」
「パール・ハーバーにスニーク・アタック(騙し討ち)したのは日本で、あの戦争を始めたのは日本だぞ。しかし、我々は戦争終了後、日本の復興に多大な援助をしてやったし、また新しい技術なども親切に教えてやった」
「軍事面でもお前たちをソ連から守ってやっている」
「これらは日本に対して大きな貸しなんだ。その貸しを、今、ほんのちょっと返してくれと頼んでいるだけだ。全部返してくれなんて言ってない。ほんのちょっと返せと言っているだけだ」
「だがどうだ。ジャップの奴らときたら、態度が煮えきらない。これほど頼んでも貸しを返さないのなら仕方がない。またお灸をすえなきゃならない。もう一回戦争をして、日本をたたき潰すしかないじゃないか」
彼は怒気を満面にあらわして、こうまくしたてるのだった。平常、私に対して「ジャップ」などという差別用語を使う男ではないし、大手企業の副社長で紳士の部類である。酒に酔ったからとはいえ、ここまで本気で言ってしまうのだから、よほど腹にすえかねたのだろう。当時四十代後半だったから、軍隊(第二次世界大戦)の経験も多少ある。
戦争の原因については、双方に言い分がある。どちらが正しかったかなどは歴史が判断することだが、大多数のアメリカ人は彼と同じような考えを持っていることだけは事実で、先に手を出した日本に非があると思っている。
西部劇の決闘のシーンを思い出してみるがよい。先にピストルを抜いた方が悪者で、相手にピストルを抜くチャンスも与えないで、発砲する奴は犬畜生にも劣る奴ということになる。
私は彼の意見に合意するわけではないが、戦後の処理で、日本の半分とか、北海道の割譲が阻止されたのはアメリカのお陰であり、またアメリカ軍に守ってもらっていることは大きな借りだと思っている。貸し借りという物の考え方は彼等にもあり、借りはいつか返さなければならない。
トムのような気持ちをアメリカ人に持たせるのは大変危険なことである。戦争にはいたらなくても、日本人排斥、日本製品ボイコットという戦前に起こった現象と同じことが再発する可能性が秘められている。
オーダリー・マーケティングという言葉が使われ始めて久しいが、この言葉は日本に対して作られた言葉だと私は思っている。オーダリーに(秩序ある)輸出をするということは、相手が弱いからといって、相手のシェアーをいっきょに取ってしまったりしないで、徐々にシェアー拡大をしろということである。
現在の貿易摩擦も、この時の繊維問題と同じである。農畜産物などでは輸入の自由化をしないで必要以上にコントロールをしながら、輸出の方は前後の見境なく、ドドッと攻勢をかける。大変身勝手だと思われても仕方ない。
アメリカと戦争をしても勝てるだけの戦力を保持しているのならまだしも、軍事的には相手の支配下にありながら、米国の一般市民に「戦争をしてもよい」と思わせるような外交はまったく愚の骨頂と言っていい。戦争とは国際紛争解決の最終的手段である。経済的な紛争を国家間で解決するために戦争が行なわれるのは当り前のことで、こんなことはアメリカ人なら誰でも知っている。日本も戦争などしかけられたら負けるに決っているから、最終的には、当時の佐藤栄作総理がアメリカへわざわざ出かけて、相手の要求を全面的(それに近い)に受け入れて解決した。
結果的には相手の要求通りにやり、しかも、大変なうらみを持たれてしまった。どうせ相手の要求をのむのなら、早目にそれをやれば(相手をじらさないで)、おおいに感謝こそされ、うらまれることなどなかったのだが。
あとでトムは私にこう言った。
「ざまあ見ろ。最後にはお前の国の首相がこっちへやってきて、土下座して、こっちの要求を全部のみやがったじゃないか」
同じ時期、日本人は首相が土下座したなんて誰も思っていなかったし、マスコミもこういう感覚ではとらえなかった。相手がいくらそう思おうが、我々はそれをまったく知らない。佐藤首相だって一度もそう思ったことはないだろう。
私がこの話をすると、親友までもカンカンになって怒り出す。それでもお前は日本人かと。別に私がそう思っているわけでもないのにである。だから、マスコミ関係の人がたとえこういうアメリカ人の感情に気がついていても、全国民から袋だたきにあうのはわかりきっているから、絶対に報道しない。
私は、日本の首相がやたらとアメリカに行くことに反対である。新しい首相が選ばれるたびにアメリカへあいさつに行く。アメリカの大統領が日本を訪問したそれへの返礼ということなら当り前だが、首相就任のあいさつに行くなど、相手があたかも宗主国のようで、私などは嫌である。
特に今までの日米関係を考えると、首相のアメリカ訪問は慎重にやって欲しいと思う。天皇陛下の外国訪問なみに慎重であって欲しいのである。
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