どうです。これが一日分のメニューなのだ。これでは遊ぶ時間はない。土曜日に少しと日曜日だけしか遊ぶ時間がない。
このゼミナールに参加した人たちは百十五人で、そのほとんどは三十代後半から四十代、五十代の人たちだから、当時まだ三十三歳だった私などは若手のほうだった。大多数は部長職以上の人たちで、長い間、こういう勉強から遠ざかっているから、このメニューはきつい。
学生時代へと一挙に逆もどりのスケジュール。いや、それよりもきついスケジュールと言ってもよい。学生時代は試験の前ならいざ知らず、毎晩ではないにしても、友人と一緒に一杯飲みに出かけたり、デートをするぐらいの時間はあったから、大変なハード・スケジュールである。
会社ではいばっていられる連中も、ここではまったくかたなしで、全員、ふうふう言って予習をしていた。毎晩三時間も四時間も種々のケースを読んで分析し、翌朝にそなえるのだから、大学の外へ出て一杯やることなど、第一週目は不可能であった。
夕食前のソーシャル・アワーとはカクテル・パーティーのことで、庭の芝生で一杯やるのだが、ここで二、三杯も飲むと予習中に眠くなる。睡魔とたたかいながら、六十頁以上の資料を読む。しかも、英文を読むのだから、私もへばったが、一部の人たちを除いて全員がへばった。手抜きをする連中もかなりいたが、みんな真剣だった。
MMPの講師陣は、マーシャル教授を筆頭に、コーリー教授、イギリス出身のラブロック助教授、若いカナダ出身のハンサムなモアー助教授、準教授(助教授よりも一ランク上、準教授は助教授よりも上で、助教授は日本の専任講師ぐらいか)のシャピロ、スター両先生の合計六人だった。特にマーシャル教授とシャピロ準教授は講義上手で、まったく我々を退屈させなかった。
受講者百十五人のうちジョンソン氏はハーバードの客員教授で、もう一人のアーバン女史は九月の新学期からハーバードの助教授としてマーケティングを教えることになっていた。アーバン助教授は美人ではないが、背の高い才女である。
彼女のことをクリスティーンとファースト・ネームで呼んでいたが、年齢は確か二十六歳だった。学士号は十九歳で取得し、二十歳の時には修士号を取り、二十三歳で経営学博士号を取って、その時まで、すでに他の大学で二年間助教授をしていたと言う。とにかく頭もいいし、精神年齢も非常に高く、すでに結婚していた。私などは彼女とよく話をし、親しくしていたほうだろう。
受講者たちの背景も多様で、YMCAやUSポスタル・サービス(民営になった郵便局)のゼネラル・マネジャー、会長、社長、副社長などいろいろな肩書(タイトル)の持ち主がいた。
会社の名前も、コンチネンタル・キャン社、スタンダード・オイル社、キンバリー・クラーク社、ユニオン・カーバイド社、シアトル・ファースト・ナショナル銀行、スペーリー・ランド社、ブランズウィック社、サザン・エアーウェイ社、ヒルトン・インズ社、クレアロール社、ジョンソン・ワックス社、ヴォルクス・ワーゲン(カナダ)社、プレイボーイ・エンタープライズ社、エクソン・エンタープライズ社、ネッスル、ニューズウイーク、アメリカン・エクスプレス等々。
次にこの人たちの肩書を紹介しよう。
第四回MMPのメンバーの主な肩書を見ただけで、日本企業の肩書よりも種類が多く複雑なのがよくわかる。私の肩書はDirector of Marketingで、営業部長をも含めてマーケティングを統轄するから、日本語ではマーケティング本部長と呼んでいた。
このタイトルに匹敵するタイトルには、Marketing Manager, Marketing Director, Vice President-Marketingなどがあり、大体同じ職務責任を持つ。Product Manager, Brand Manager, Senior Product Manager, Group Product Manager, Advertising & Sales Promotion Manager などは、マーケティング(本)部長の下にあるポジションである。
昔は営業担当副社長をマーケティング担当副社長の下に置かず、並列にしていて、セールスとマーケティング(営業以外のマーケティング分野)を分けて考えたが、現在はマーケティングを統轄する人(副社長かディレクターやマネジャー)の下に営業部長を置いている会社が多い。
営業部長にもいろいろな呼び方がある。Vice President-Sales, National Sales Manager,
Sales Manager, Regional Sales Manager 等々。最初の三つは日本語の営業(本)部長のことで、リージョナル(地域の)・セールス・マネジャーとは、日本でいう西部営業部長とか東部営業部長とかで、ある地区の営業部長という意味である。
前出のプロダクト・マネジャーとかブランド・マネジャーというタイトルは、部長職であったり、課長職であったりするが、一つの商品(または一つのブランド)のセールス以外のマーケティングを統轄するポジションで、広告、販促、商品企画、リサーチ、広報などのうち、特に広告に対する責任が重い仕事に従事する。日本でもプロダクト・マネジメント制をひいている会社が多くなったが、いわゆる各商品(各ブランド)を担当する宣伝(部)課長だと思えばよい。
頭の良さそうな人も、にぶそうな人もいたが、やはり部長以上の人が多かったから、みなそうそうたるメンバーである。
参加者の中でいちばん名前の知られていたのはヒルトン・ホテルのオーナーの息子、エリック・ヒルトン氏である。時々、何人かを近くのヒルトン・ホテルに招待して、酒をご馳走していた。アメリカ人は有名人好きだから、彼のまわりには自然に取り巻きが出来ていた。
日本人は私のほかに脇田みのる氏がいた。わりと無口な人で、長期滞米中だったが、彼も一生懸命に予習をしていた。しょっちゅう一緒に酒を飲むことなどできず、一、二度一緒に飲んだぐらいで、以来ご無沙汰している。
MMPは主にケース・スタディーで、毎日、三つのケースを分析し、みんな活発に意見を出し合う。予習はしっかりしないとトンチンカンな発言になる。だから、予習をしっかりしようと思うのだが、毎晩六十頁、七十頁も読むのだから、なんせ時間がかかる。一頁二分で読んでも、読むだけで二時間以上かかるから、考えながらノートを取るのは難しい。
講義中は私も一語一語に気をくばって発言したが、二、三日すると、よくしゃべる人はクラス(一クラス三、四十名)でも五、六人にしぼられてくる。私もよく発言する者の一人で、特にマーシャル教授とシャピロ準教授のクラスではよく発言した。
マーシャル教授の商品のライフ・サイクルの講義は大変印象的だったのだろう。ブランド・ディファレンティエイション・スケール (brand differentiation scale) は頭の中にしっかりと焼き付いた。