英語発音ならスギーズ! ◆ 連載小説 ☆ 我が英語渡世◆スギーズの英語人生、英語教材開発への情熱、ニューヨークでの生活の様子などをご一読下さい
◆ 連載小説 ☆ 我が英語渡世 ◆
VOL.43
著者 杉本 宣昭 
第四章 ヨコハマは英語の宝庫
ある兵士の賭け、ザ・ウォーキング・メイジャー

 この時代には、一人の忘れがたい人物がいる。このノース・ピアーのパッセンジャー・ターミナルの責任者、陸軍のアーン少佐のことだ。彼の戦死の情報はハワイ留学中に、大手広告代理店に就職し、ハワイ支局の開設にやってきた友人から聞いた。昭和四十年十二月二十四日、クリスマス休戦の前に地雷を踏み、ヴェトナムで戦死をとげたそうで、この話をKさんから聞いた時は大変なショックだった。

 少佐は根っからの軍人で、勤務中はもちろんのこと、オフ・デューティー(非番)の時でも、自宅にいる時でも、私物はいっさい身につけないという、陸軍をこよなく愛していた好人物だった。一兵卒から将校に昇進した人で、四十歳を過ぎてやっと少佐になったぐらいだから、出世は遅いほうであった。しかし、いつでもお役に立てるようにと、毎年、富士山をかけあしで登っていたほど、肉体も精神も、いつ戦場へ行っても、すぐに対応できるように鍛えていた。

 こういう人だから、多分、自分で志願してヴェトナムの前線に行ったのだろう。ヴェトナムで戦争が行なわれているのに、自分だけ日本で平和に暮しているのは我慢できなくなったのだと思う。奥様と十六歳ぐらいのお嬢さんと息子の四人暮しだった。大変おしい人をなくしたものである。

 昭和三十八年の二月のことだ。アーン少佐とは、いつも冗談を言いあっていたほど親しくしていたが、彼が突然、別府へ一緒に行こうと言う。丁度、春休みになるところだったので、気楽にO・Kと言ってしまった。

 日が迫ったある日、輸送船が入港したのでノース・ピアーに行き、汽車のキップはどうするのかと聞くと、「キップは必要ない。走って行くのだから」との答。「悪い冗談はやめろ」と言うと、本気だと言う。「お前は約束したのだから、今さら降りるなんて卑怯なことはできないだろう。これは男の約束だ」と言われてはどうしようもない。

 アーン少佐が言うには、「実は毎年やっていることなのだが、別府に『光の園』(養護施設、現在の光の園白菊寮)という孤児院がある。そこの増築をやりたいのだが、その資金を集めるために、今回は大がかりに、宣伝を兼ね、マスコミにも取り上げてもらって、途中でも寄付金を集めながら別府へ行くのだから、お前にも参加してもらいたい」と。彼は何年も、この光の園孤児院のためにつくしていたのである。怠け者の私でも、いくらマラソン嫌いでも、これに参加せずば男にあらずと、一緒に行くことになった。

 このことは、後に石原裕次郎主演の日米合作映画、「ある兵士の賭け」として映画化された。この映画の主なキャストはアメリカ側のデール・ロバートソン、フランク・シナトラ・ジュニアー、デイナ・メリル、および日本側は石原裕次郎、新珠三千代、三船敏郎、浅丘ルリ子、藤村有弘などだ。しかし、この映画が封切られた頃は、まだアメリカにいたので、昭和四十六年に帰国するまで、この映画の存在は知らなかった。この映画は帰国後、二、三年たってから、テレビで一度見ただけだが、ストーリーは事実とは大分違うようだ。

 とにかく、二月の下旬の一番寒さが厳しい時に、八百マイル・ハイクが実施されることになった。参加者は、日本人は私と早稲田の学生森田君、陸上自衛隊の陸士長の三人で、アメリカ側はリーダーのキャプテン・アーンともう一人の大尉、陸軍の古参軍曹三名、海軍のこれも古参の軍曹二名、若い海兵隊の伍長が一名、それに大型トラックとピックアップの運転手として水兵が二名の総勢十三名だったと記憶している。

 横須賀の海軍基地を午前十時頃に、当時の司令官、海軍少将から激励のことばをいただき、全員、鎌倉海岸まで一緒に走った。走るといっても、十分走り、五分歩くというペースだ。鎌倉からは交替で走るのだが、三時間おきに各人、七〜八キロをカバーし、丸五日間、三時間おきに走る。

 若い私は、初日、好調にとばしたが、四十歳を越えた古参の軍曹たちはハーハー、ゼーゼー、これで五日間もつのかなと思っていると、そこは筋金入りのプロの軍人だ。三日目、四日目、五日目と段々調子をあげてくる。私はどうかというと、二日目、三日目にはダウンというような具合で、あまり格好良くはやれなかった。まったくくずれないで走ったのは、海兵隊の伍長と二人の大尉だった。さすがに鍛えられた身体である。

 私たち二人の学生は運動靴だったが、他の軍人たちは戦闘用の編み上げ短靴、いわゆるドタ靴で、大変重そうだった。だが、実際には、このドタ靴のほうが足には楽なのだそうで、しかも履き慣れていて、長距離の行軍にはこれが一番とのことだった。悲惨だったのは我々ズック組である。

 キャプテン・アーンと伍長を除いて、全員、第一日目には大きな靴ずれをあちこちにこしらえ、その大きな豆を針で潰し、バンソーコーを貼って、ヒーヒー言いながらの行軍だった。


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