前述のように留学生のアルバイトにはいろいろな制限がもうけられており、週二十時間までというのが一つ、もう一つは学校での成績が学部の学生はC平均以上、大学院の学生はB平均以上でなければアルバイトの許可がおりない。したがって、留学生なら誰れでもアルバイトができるというわけではなかった。
しかし、金持の子息ならいざ知らず、半数以上は私とほぼ変わらない留学生だったから、アルバイトの許可がもらえないからといって、働かないわけにはいかない。成績の悪い連中は、不法に働くことになる。
許可なしに働いたり、週二十時間以上働いていることが露見して、本国送還になった不幸な留学生もいる。大抵の場合は地元の人が当局へ密告するためで、アメリカ市民の職が留学生たちに横取りされるのは社会的大問題だったから、密告も頻繁に行なわれていた。このように不法アルバイトをする人たちは、いつも露見しはしないかとビクビクしていて、犯罪者のような気持ちになってしまい、精神的な苦痛に耐えきれず、目つきまで変わった人も何人かいた。
我々にまわってくるアルバイトで一番多いのは皿洗いで、次にレストランのボーイの仕事ということになる。ボーイと日本語ではいうが、英語ではバス・ボーイと呼ばれ、ウエイターやウエイトレスとは明確に区別される。
ウエイターやウエイトレスは、れっきとした職業(プロフェッション)でチップの収入が多く、特にハワイのような観光地ではかなり上等な職業である。いいレストランのウエイターなどはプレミアムがついて、権利の買売が可能な職業なのである。
バス・ボーイの仕事はプロフェッションとして認められていなかった。技術はほとんどいらないし、ただ力さえあればよく、テーブルのかたずけやセット・アップをすればよい。バス・ボーイの仕事も皿洗いほどではないが、かなりきつい仕事だから、一時間当りの賃金は皿洗い並みの約二ドルであった。
日本人留学生にとって一番割の良いアルバイトは、バーテンの仕事だろう。ハワイには日本人女性(主に戦争花嫁と呼ばれる人たち)の経営するホステスを抱えたクラブが数多くあった。地元の二世たちが主なお客だが、まさに日本のバーで、ジャパニーズ・バーと呼ばれていた。現在では日本人が経営する店はごく少なくなり、韓国人女性の経営するバーがほとんどで、コリアン・バーと、今では呼ばれている。こういうバーのバーテンダーはチップの収入もかなりあり、酒も飲めるしで、留学生仲間ではもっとも金まわりの良い連中だった。
その他、レストランのコック(本格的なコックではなく、コーヒー・ショップや軽食堂で簡単なものを作る仕事)日本語学校の先生、庭師の下働き等がある。しかし賃金の高い仕事は地元の人たちがするので、留学生にはきつい仕事ぐらいしかないのが通常だった。
私がやったアルバイトで一番きつかったのが、皿洗いの仕事である。特に日本料理屋の皿洗いは大変で、皿洗い機が使えない。皿や小鉢の種類が多い。洋食なら平たい皿が多いから機械が使えるが、日本料理屋の場合は全部手で洗う。しかも、前かがみで洗うから腰が痛くなる。おまけに洗剤で手が荒れ、ひび割れて、少々クリームを塗ったぐらいではなおらないから、長期間やると、年中、手がしもやけになったようになる。私は日本料理屋「ふるさと」で一カ月やって早々とギブ・アップすることになった。