アケミも三カ月間、二十四レッスンを経た頃には、全母音と子音の大部分を一応的確に発音できるレベルに達していた。この段階をすぎると、今までよく聞きとれなかった単語もよく聞きとれるようになり、相手の言うことが数段よく分るようになる。問題はいつも正確に(、、、、、、)発音できるようになるかどうかである。しかし、多くの人は「小林旭」になる。要するに、「昔の名前ででてくる」のである。小林旭にならないようにするには、現在自分が知っている英語の単語を、全部正しい発音で覚えなおす必要がある。
最初の三カ月が終わると、次にすることは、正しい発音を「文章の中」で行なう練習である。文章になると、またいろいろな問題が出てくる。まずは子音と子音が重なった時に、子音のあとに母音をつけないで発音することである。例えば、“sit down.”と言う時に「sit」の[t]のあとに母音の[オ]を加えないで次の[d]の音にいくというように、また[t]も舌先の位置は[t]の位置においたまま音を出さず(舌先を離さないで)次の[d]の音を出すというようにする。これもかなり難しい練習である。日本人が子音のあとに母音をつけたくなるのは当り前。だから難しいのである。
その他、イントネーションやリズムの練習をすると、やはり一年ぐらいはかかる。アケミも一年やって音は正確に発音できるようになったが、小林旭の大ファンなのか、昔の名前で未だに出演している。「三つ児の魂百までも」というぐらいだから、あとは本人の努力次第である。
彼女の他にも、この三年間に頼まれて何人も発音矯正のコーチをしてきた。耳鼻咽喉科の医者で、さる音大の音声学教授を兼務されているH先生も、週一回だが、約十カ月間通って来られた。英語の会話力もほどほど身についた人だったが、発音は少々我流だった。しかし、さすがは音声学の先生である。音素(phoneme)の理解力は抜群で、私にとっては、説明の手間がかなりはぶけておおいに助かったと言ってよい。
H先生の年齢は五十代、かなり出しにくそうな音もいくつかあったが、三、四カ月後には全母音と子音のほとんどをマスターし、十カ月後には発音がみちがえるように良くなっていた。
次にコーチしたのが、広島の最大手パン・メーカーの若い社員H君で、サンフランシスコに出向するため、超特急の一カ月弱で全母音と主要子音をマスターさせた例である。この会社の?部長に「一カ月しかないのだが、何んとか英語力をつけさせて、アメリカへ送り出したい」との要請をうけ、「それには発音を教えるのが一番良い」と説得し、月火水木金土と週六日、私のオフィスに来させ、合計二十四レッスンで、全部の音が正確に発音できるように仕上げた。
一カ月間で全母音とほとんどの子音が正確に発音できるようになったのには、私も内心驚いたくらいである。H君からは一回だけハガキがきたが、サンフランシスコにいても、残念ながらあまり英語を使う機会がないとのこと。その後どうなったか?そのうち帰国すれば話が聞けるだろうと、楽しみにしている。
知人のお嬢さんで都立高校二年生のユカちゃんも、渡米前の三、四カ月間、発音のトレーニングをした人たちの一人である。私たち夫婦の知り合いで、ミネソタ州の人口四、五百人の片田舎、ボイドにあるルーテル教会の牧師宅に下宿させ、そこの高校で一年間勉強することになったのだが、英語力は少々心配だった。なんせ、ボイドには牧師夫人の郁子さんが唯一人の日本人で、他には日本語のわかる人はいない。渡米するまでの短かい期間にやれることといえば、やはり発音しかないのである。
三カ月で発音を覚え、渡米し、一年たって帰国した。発音をしっかりやって行ったため、英語の上達が速かったようだ。こつこつ真面目に勉強する娘(こ)だし、なかなか美人なので、人気者となり、成績もよく、私としても鼻が高い。
ユカちゃんを教えている時、やはり一年間アメリカに留学したいという大学四年生のチャンピオン(彼のあだ名)も一緒に教えることになり、渡米前三カ月間、彼女と一緒に発音のトレーニングをしたが、彼も彼女も普通の日本人の学生と同じように元々日本的な発音をしていた。それが三カ月の間に、今まで出せなかった音が全部出るようになり、チャンピオンなどもサンディエゴの英語学校で「発音が大変よい」とほめられたそうである。
現在も何人か教えているが、全員私が期待した通りの進歩を示している。私の経験からみても、今まで教えた人たちの例をとってみても、発音は教え方の問題であって、決して日本人だから上手になれないということではない。
「いくら外人講師のいる会話のクラスに通っても、発音が全然上手にならない」
と言う人がいる。それもそのはず、外人の先生には、発音をうまく教えることができない人が多いのだ。発音(音声学)を的確に教えるためには、音声学の専門知識がまず必要な上に、音の出し方を日本語できめこまかく説明する必要がある。言葉でうまく説明しないと正確に出せない音素が、英語には沢山あるのである。
中津燎子氏が発音道場をやって成功していると話に聞いているが、まさにこの点に留意していると確信している。日本の英語教育を考えてみると、中学校の先生の発音矯正が第一だろう。中学校時代に発音を正確に教えてもらえれば、私の生徒たちも小林旭にならなくてすむのである。昔の名前で出ていいのは、俳優の小林旭だけである。