■ロイ・アンドリュー・ミラー氏(Roy Andrew
Miller)は「どんな言語でも覚えるのは難しい。だが、一旦、覚えてしまえばやさしいのである」("Any language is difficult
until we learn it; and no language is difficult when we know it.")と言っている。
■多くの人が、日本人にとって英語を覚えるのは難しいと言う。その理由は、日本語と英語はあまりにも異なる言語なので、ドイツ人が同系統の英語を覚えるのとは違うのだと。英語と独語は親戚関係にあるのに、日本語と英語では、文法も違うし、特に冠詞の使い方など日本人にはとうていマスターできない。前置詞の使い方だってよく分からない。中学・高校・大学で何年やっても、外人に道を聞かれても、上手く教えてやることも出来ない。海外旅行に行っても、買い物するのも大変だなどと多くの人が言っている。欧米人にとって、日本語が大変難しいのも、この裏返しなのである。しかし、私などは、高校時代、特殊な勉強方法を取ったから、前述したようにすぐにアメリカ人に間違えられるほど上手くなった。
■アメリカに何年も住んだり、英語圏の国に留学したりしなくても、英語母国人と同じようなレベルに到達することも可能なのである。私の方法は「発音を徹底的にマスターして、会話的な表現をたくさん覚える」ことなので、単純明快な方法なのだ。
■日本の英語教育は間違っていると言う人は多い。学校教育だけで英語がしゃべれるようになった人はほとんどいない。今ではテープを使ったり、外人の先生もいて、直接生の英語に接触できるようになったが、皆、上手にはならない。どういうわけか、学校で英語を教えても、学生がしゃべれるようにはならないのだ。これは英語教育界の大きな謎で、その理由は教える側にある。
■上智大学の渡辺昇一先生などは、文法教育が重要で、中学・高校では「文法中心」(今までのやり方)で教えるのがよいと言う。私も、文法は大変重要なので、異論はない。渡辺先生は、文法の勉強をし、英文読解をやるのは頭脳のトレーニングに最適だと言う。若いうちに外国語と格闘し、文法の知識を入手し、読解を行うことは「知的トレーニング」になるのだと。
■しかし、私の考えは少し違う。文法に重点を置くのはいい。だが中学一年のときから文法中心で行くのは、少々考え物なのだ。外国語習得のトレーニングは、段階的にも目標を定めてやる必要がある。まず、英語を聞いてある程度理解でき、こちらの意思も口頭で相手に伝えられるようになることが、初期の段階の目標になるのが自然だと思うのである。外国の知識を出来るだけ早く入手しなければならなかった明治時代ならいざ知らず、今日では「使える英語」の習得が最初の目標にならなければおかしい。使えるとは「聞けて、しゃべれて、書ける」ということなのだ。
■日本人が英語をしゃべりたいと思っても、その前に『発音』という障害がでんと座っている。英語の母音は基本的なものでも12個もあり、日本語には5個しかない。しかも日本語の母音と同じものは「エ」だけで、他の11個の母音は残りの日本語の母音4個とは「違う音」なので、これらをちゃんと発音できるようにならないと、耳で聴いても分からないのだ。ましてや、しゃべって相手に分かってもらうことなど出来ないと思わなければいけないのである。子音でも日本語にない音はたくさんある。しかし、子音はわりと楽に覚えられるのである。/
f, v, l, r, / のようなものから "sh"、th" 無声音・有声音、鼻に抜ける "ing" の音もあるが、これらはちょっとしたコツを飲み込むとすぐに正しく発音できるようになる。
■音を覚えるのは、年齢によって、また個人の器用さによっても違うが、私が今までにプライベートに教えた弟子たちは、全員、上手くなっている。私の長女などは、中学一年の時発音を教えただけで、今、ニューヨークで、全くアメリカ人と変わらない発音で英語をしゃべっている。
■だから、中学に入った一年目は、「発音と単語だけ教えればいい」というのが私の主張するところである。一年間は徹底的に発音のトレーニングを行う。同時に、単語の発音、つづり、意味を教える。それも、日本語になっている「カタカナ語」を中心に教えていく。日本語として使われているぐらいだから、皆、ある程度、単語の意味を知っている。だから、この単語は「元来こういう意味の単語で、正しくはこう発音して、名詞になったり、動詞としても使われる」などと説明してやれば理解しやすい。まるっきり知らない語を覚えるのではないので、勉強がイヤにならない。また、こういう教え方をすれば、発音の練習でも、私の今までの経験から、学校で多数の学生に発音を教える場合でも、個人レッスンでも、イヤになるものは非常に少ないと思う。単調な繰り返しの連続であっても、おもしろいと思うものが多いくらいで、ほとんどの学生はついてくる。ただし、先生が発音を教えられるかは、大きな問題として残る。先生をトレーニングするのは大変だが、それもやってやれないわけではない。夏休みなどを利用して、集中的に訓練したり、大学で発音のトレーニングを必須としたり(教職を取る学生に対して)すれがいいのである。またネイティブの先生のいる中学校などでは、発音の仕方は日本人の先生が説明し(日本語で)、ネイティブの先生の後について発音させるとか、そのような先生がいない場合は、テープを聞かせて、発音練習させる。しかし、日本人のセンセイは「発音のし方」を少なくとも知識として(自分自身が実際に正しく発音できなくても)マスターしていなければならいのだが。
■中学二年になると、短い文章(専門的には『チャンク』と呼ばれる、単語が二個から六個ぐらいで作られたもの)、特に会話文を、ペラペラと口に出して言えるように、毎回、授業時間の半分以上を使って練習させる。そうすることで、英語のイントネーション、リズムなども体得させることが出来る。残りの時間を使って文法を教える。
■「チャンク(chunk)」とは「かたまり」という意味だが、英語を母国語としている人たちは、通常、対話をするときは、チャンクで話をするので、日本人のように、頭の中で「作文して」(でなければ日本語を英語に翻訳して)はしゃべらない。要するにひとつの表現を「かたまり」として口に出すのである。このチャンクが頭の中にゴマンと入っていて、それが発想した瞬間に口からペラペラっと出てくるのである。議論したり、討論したり、演説したりするときは別で、しっかりと考え考えて「文の構成を整え」、出来るだけ理路整然と話をする。そうでない日常会話では、大して考えなくていいわけだから、チャンクのぶっつけ合いをやっているだけなのだ。だから我々日本人も、チャンクを出来るだけ多く仕入れればいいのである。だからチャンクの仕入れは、出来るだけ早めに行うことが肝心なのである。単語を覚えるのと同じ要領で、チャンクを丸暗記するのである。しかもいつでも必要なときは「口に出して言える」ように覚えなければならない。これを出来るだけ「正しい発音」でやるのである。こうやって千個、二千個、三千個のチャンク覚えれば、会話は十分に出来るようになる。
■暗記することは、外国が習得には欠かせないことのひとつである。経営学の大家ピーター・ドラッカー(Peter Drucker)先生も「本を一冊丸暗記したのでまともな英語が書けるようになった」と言っている。私は「英語は独学した」と思っている。もちろん、中学・高校・大学で(大学では英文科の専攻)、一応、習ったのだが、本当に身についたのは学校以外で独学したことである。外国語を習得するときは「発音習得抜き」では上手く行かない。フランス語は日本の大学でもアメリカの大学でも受講したが、誰も発音を教えてくれないので、全然ものにならなかった。
■独学でやろうが、学校で勉強しようが、皆、英語を勉強している。学校では強制的にやらせているわけだが、全員が嫌々ながらやっているわけでもない。受験という目的もあるし、また心の奥底では『英語が出来るようになることは自分のためになる』と信じて、多くの人が英語を勉強しているのである。受験に成功するためなら多くの人がものすごい努力をするし、特に英会話学校などに通っている人は、多額なお金を払っているわけだから、本当に英語がしゃべれるようになりたいのだ。しかし残念なことに、多額の投資をしても、英語がしゃべれるようになる人は少ない。もっとも、私の弟子たちは、全員、上手くなるから例外かもしれない。
■では、なぜ多くの日本人が英語を勉強しているのだろうか?学校の受験や入社試験に組み込まれているから、仕方なく勉強しているのだろうか?そういう人も多くいるだろ。しかし、大半の人は、これから生きていくうえで「英語は必要だ」と思っているのだと私は思う。インターネットの時代だから、英語でE−メールが書け、海外の英文のサイトにアクセスしたいと思っている人も多いるはずだし、日本の企業も海外との取引が増えているので、必然的に英語を使わなければならない人が増えてくる。課長ぐらいになると英語が出来ないと「役に立たない」などと言う人もいる。実際に、課長になるにはトーフルやトーイックの点数が何点以上でないとダメだという会社もある。特に技術屋は、英語が読めない、書けないなどと言っていられない。最先端の情報は英語でかれているのだから。
■ニューヨーク在住の霍見芳浩先生(ニューヨーク市立大学教授)が、「ジャパンズ・ルネサンス」(講談社、平成12年2月2日刊行)で嘆いておられるように、日本人はもっと努力して、英語の実力をつけなければならないのだろう。先生が向こうに行っている留学生や派遣社員も「英語が出来ないだけでなく、何年米国にいても少しも使えるようになる人が少ない」と嘆いておられる。この人たちに共通していることは「みんな日本語での読書力が貧弱で、思考力や必要な作文力はもっと貧弱であること。日本語でまともな読み、書き(思考)、話が出来ないのだから、論理的思考を必要とする外国語を身につけられはずがない」と厳しいことを言われる。
■山本七平氏(故人)は、私が最も尊敬する学者だが、欧米的理論を展開する達人だった。独特な文体で多くの名著を残されたが、私には本当に読みやすい文体だった。多くの人は、かなり難しい文体だと思ったらしいが、英語に訳すときは「楽だろうな」と思ったものである。霍見先生も「アメリカのちゃんとした大人たちと付き合うには、会話術だけでは役に立たない」と言われ、まさにその通りで、広い範囲の知識を持ち、それを理路整然と英語で言えるようになるには、それなりの努力をしなければならないのである。
■いまや、毎年、1700万人が海外へ出かけている。多くに国でショッピングをするとき、日本語も多少通じたりするので、あまり不便を感じない人もいるが、やはり少しは英語がしゃべれないと不便なのだ。食事の注文、ちょっとしたサービスをホテルナで受けたいと思っても、英語がしゃべれると、英語圏以外でも、何かと用をたすことが出来る。ホテルのバーなどで、隣に座った人と会話でも出来れば、海外旅行も愉快なものとなる。友達でも出来れば、文通がはじまったり、人生に豊かさを加えることも出来るだろう。要するに、日本人にとって、英語は必要な言葉なのである。問題は、どれだけ上手くなるかということで、上手くなればなるほどいいということ。どうすれば上手くなるのか?勉強方法の「質」と努力の「量」の問題なのである。
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