■現代の日本ほど、英語の必要性を身近に感じている国はないかもしれない。受験生は受験生なりに、大学生は就職試験のことを考えて、新入社員は先輩たちの苦労を見て、ベテラン連中は、実戦で、現場で、ますます英語にいじめられているのが現状だろう。それは、日本の企業は大企業でも中小企業でも、また日本の社会全体が、英語との接触なしにはやっていけなくなったからなのである。
■日本語における「ものの考え方」と英語のそれとは大きな違いがあり、そのため、このギャップが埋められないと、日本人が英語で表現するとき色々なトラブルが発生する元になるのである。表現の問題は、日本語の背景にある日本独特の文化と英語の背景にある「アングロサクソン的」な、また、ユダヤ・キリスト教的な「ものの考え方」の違いにより起こるのだが、日本人の持っている論理と英語世界の論理(欧米では共通の)とでは、根本が違うのである。山本七平氏が分析したように、「日本人が何かを論証しようとする場合、すべてが、相手を説得するという形になる。すなわち条理(論理ではないが、何かそれに似た順序で、結論を追ってゆく方法)をつくして諄々と説く」ので、論理的に論証するのではない。ところが、欧米人の世界は、多摩大学学長のグレゴリー・クラークセンセイの言うように「原則関係社会」なのに、日本は「人間関係社会」だから、この人間関係をうまくやろうとするために、摩擦を避けようとし、無意識のうちに表現が不明瞭になってしまう傾向がある。そのため、日本人が英語で表現するときも(会話をするときも文章を書くときも)、同じ発想になり、どうしても英語らしい表現になりにくい。欧米人のごとく彼らの論理を使いこなすのは、かなり西洋論理学を勉強した人でも、大変難しいのである。
■英会話スクールに行って、英語を母国語とする外人の先生について勉強しているが「一向に上手くならない」という人は多い。まあほとんどの人がそうだと言ってもいい。ではなぜ多くの人いくら努力しても上手くならないのか?ひとつは発音の問題だが、最終的にはこの「ものの考え方の違い」に答えがあるように思えるのである。"How
are you? Fine, thank you." などのような単純な挨拶、慣用的、日常的な表現なら別に問題ないが、ビジネスの交渉ごとや政治・ぶんか・宗教・芸術などの話をするときに、自己の主張や分析などを表現するとなるとなかなか上手くいかないものである。
■日本人は、どうしても、相手の年齢・学歴・身分(社長、部長、課長とかの地位名など)・職種・出身地などを知りたくなり、日本人と話をするときと同様に、これらを知るための質問をする。しかしこういうパーソナルなことは、よほど親しくならないと聞いてはいけないのだというのが、欧米の文化である。こいうことをするだけで、大きな摩擦を引き起こすのである。
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