■岸田秀氏(和光大学教授)と山本七平氏との対談「日本人と日本語について」で言っていることに「日本語は家族語だ」というのがある。日本語には暗黙の前提というものが一杯ありすぎて「その前提が分かっている人にだけに通じる言語だ」と言うのである。日本語を直訳すると通じない。だから、日本人が英語下手なのは当たり前なのだと。英語というのは他人に対してしゃべることばだが、日本人は身内に対してしゃべることばしか持ち合わせていないのだと。
■ルイス・フロイスも「日欧文化比較」のなかで「我々は正確なことばを尊ぶ」と戦国時代の日本人を指してこう言っているぐらいだから、何百年も昔から、日本語を使う我々の考え方が、いかに、欧米の思考体系と違うのかが分かる。「正確でないものはフランス語にあらず」と言われると言うぐらいだから、欧米の言語では、正確にことばを使うよう、小さいときから教育をするのである。議論や交渉事でないときでも、ごく日常的な会話の中でも、ことばを曖昧に使うと、相手はそれを咎め、正しくは「こうこうしかじか」であると訂正する。しかし日本人同士でこんなことをやると、ケンカになるのがオチであろう。今ではやらなくなったが、昔は、よく妻や子供たちと話をするときに、みんなの表現が論理的でない(西洋論理上)とき、その不合理性を指摘すると、皆いやな顔をして反発し、「何でそんなにうるさいことを言うのか」と非難を浴びたものである。私は、西洋論理で自論を展開する術を若いころ身につけたので、未だに、海の向こうの理屈を展開している。
■英語は早めに白黒を明確にする傾向が強い。主語の後にすぐ動詞を持ってきて、述部の白黒をつけようとする。「〜である」のか「〜でない」のかを決めつける。ところが、日本語では文末まで「である」のか「でない」のか分からない。長々と表現(話)している間に、自ずと白なのか黒なのか分かるのであるが、気が変われば、いつでも反対の結論に持っていけるのである。おまけに、日本語は身内語だから、主語などをはっきり示さなくても、相手には分かっているので、はっきり言う必要もないし、しまいには、動詞を省略してもこっちの意思は十分伝わるのだから面白い。
■私が米国から1971年に帰国して間もないころ、私が書いた文章(日本語)を読んだ人が「まるで翻訳文のようだ」と言っていたのを思い出す。これは私があまりにも主語を入れすぎたためだと後で気づいたことだが、今では出来るだけ「主語削り」をするようにしている。主語を省略すればするだけ「日本語らしく」なるからである。
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