| ■この国に有名な小説家・夏目漱石が書いた「吾輩は猫である」に登場する猫とは血もつながっていないし、何の関係もない。しかし
"I'm a cat, too." (吾輩も猫である)と言いたいのである。"But I'm not an ordinary cat.
I'm different. I'm a genius." だが、猫は猫でも、その辺にごろごろしている猫たちとは、一味もふた味も違う。俺は天才なのだ。
■夏目漱石の小説に出てくる猫は、この国の有名人(猫?)だから、系図の偽造でもして、あの猫の子孫(猫孫?)だと言ったほうが、知名度は上がるかもしれない。だが嘘までついて有名になる積りはない。"I
was born in the United States but have no nationality. I carry no passport nor
any visa to enter any country. My old master was an American and took me to Japan."
私の生まれた所はアメリカ合衆国である。猫に国籍はない。日本に来るのにパスポートやビサも必要ない。たまたま昔のご主人様がアメリカ人で、彼のお供をして、この東洋の経済大国へやってきただけである。
■旧主は紅毛碧眼のヘンリーJ・キャットナップ(Henry J. Catnap)という。"catnap" とは「転寝(うたたね)」と言う意味だが、"nap"
だけで「うたたね」の意味だから、その上に「猫」の文字をつける必要などないと思うのだが。社命によって、東京へ子会社を設立するために派遣されてきたのである。コンピューター関係の会社だが、日本の市場も無視できなくなり、日本への進出が決定された。彼は大学時代、多少日本語を勉強したということが知れて、この厄介な仕事を押し付けられることになったようだ。年齢は30そこそこだが、独身であることが東京へ派遣された理由の一つでもあったらしい。女房・子持ちの男を日本へ行かせれば、子供の教育費を負担したり、家族の人数によっては大きな家かアパート(どうもこの国の人たちは
"アパートメントapartment or アパートメントハウスapartment house" のことを「マンション」("mansion"
= 「大邸宅」と好んで呼ぶようだ)を借りてやらなければならない。会社の方も女房・子持ちでは経費もかかるので、独身の男の派遣ということにしたのだろう。時々、会社のケチさ加減をなじっていたぐらいだから。
■ヘンリー・キャットナップは30を越しても独身者でいるぐらいだから、たいして女にもてるというわけでもなく、猫など(吾輩のことだが)を飼って、まあ気侭にのんびりと暮らしていた。何が起こったのか知らないが、東京に2年ほどいて、急にアメリカへ帰ってしまった。しかも私を置き去りにしたままである。私に一言こう言って
"You're free now. You can go anywhere and do whatever you want." (お前は自由の身だ。好きな所へ行き、好きなことをすればよい。)あたふたと一人で帰国してしまったのである
■黒人奴隷を解放したリンカーン大統領を気取って、私を「解放」したつもりかも知れないが、ペットというものは「奴隷」とは違うのである。特に猫は、犬のように首輪をつけられて、鎖につながれたり、小鳥のように小さなカゴの中に閉じ込められたりするわけではない。主持ちの身ながらかなり自由に今までやってきた。
■犬などはかわいそうに、いろいろな義務を負わされている。番犬の役目をおおせつかったり、犬ゾリのようなひどく重い物を引かされたり、盲導犬として働いたり、猟犬として人間が他の動物をハント("hunt")する手伝いをさせられたりする。だが人間は、猫にはこういうことをさせようとはしない。その点、猫にはネズミを捕ること以外、何も期待しないから、正に自由そのものだ。このネズミ捕りも、今では、人間も期待しなくなって、たまにネズミを捕ってくると、女の子は「キャッ!」と言って気持ち悪がり、人間の方でも捕ったネズミの始末に困るぐらいで、決して喜んではもらえないのである。
■猫には誰も「お手!」とか「お座り!」などとはやらないもので、犬などのように特別な訓練所などに入れて、人間の命令に従うようにトレーニングをしたりはしない。猫訓練所など聞いたこともなければ、またいくら探してみても、そんなものどこにも存在しないのだ。"Cats
don't have to do these stupid things like most dogs do." 「お手!」などのような「ばかげたこと」は、猫ならやらなくてもいいのである。
■しかし、飼い主に捨てられると大変である。"If you get dumped, then you become a homeless cat."
捨てられたらホームレスになるわけだから。アメリカには、今では、750万人のホームレス(人間様の)がいるという。日本には2 ̄3万人しかいないから、日本と較べるとアメリカはひどい所で、日本の数百倍もいるのである。リストラ(
"restructuring"= 首切りと同じこと)やダウンサイジング( "downsizing" 切り詰めること、小型化すること)が行われ、レイオフ("layoff" 一時解雇と呼ばれ、人手を会社が必要とすれば再雇用されるというのが前提だが、そのままレイオフされっぱなしになることが多い)される人が沢山出てきて、ホームレスになる人もいるわけである。だから、アメリカでは、ここ二、三十年間は、一握りの金持ちを除いては、皆、ビクビクしながら生活しているのである。日本でも、最近は、リストラが流行っているから、昔と較べればサラリーマンも大変だが、アメリカと較べれば、日本のほうが数倍安定した国なのだ。
■私もホームレスになったので、途端に、三度のメシ(猫は一日二食なのだが)を自己調達しなければならない破目になったのであった。今さら、昔の猫のように、あの薄汚いネズミなどを捕って生活などできるわけがない。ネズミは不潔だし、恐ろしい。小さい奴なら、いたぶりながら遊ぶこともできるが、スラム街やゴミの多いところにいる奴らときたら、いつも腹いっぱい食っているから、ぶくぶく太って、人間の赤ん坊でも食い殺すほど残忍な奴らだ。大きいのになると、われわれ猫よりも大きいのもいる。ピストルでも持っていなければ、こっちの方が危ないくらいだ。
■キャットナップ氏には、子猫のときからけっこう美味い物を食わしてもらい、この国の仏教の坊主のように「山寺の和尚さんは、鞠は蹴りたし、鞠は無し、猫をかん袋(紙袋)に押し込んで、ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く(泣く?).
. .」などとやられたこともない。まあ優遇されていたのだから、今さら恨みがましいことを言うつもりはない。しかし、毎日のメシの確保をしなければならなくなった。まあ、住居の方は、雨露をしのぐ場所はどこにでもあるから、メシの確保と較べれば、別に大きな問題ではない。ただ、柔らかいソファーや暖かいベッドに寝るというわけにはいかないだけである。目下の所、夏だから、寒くなるまでには、まだ時間がある。
■キャットナップ氏には、子猫のときからけっこう美味い物を食わしてもらい、この国の仏教の坊主のように「山寺の和尚さんは、鞠は蹴りたし、鞠は無し、猫をかん袋(紙袋)に押し込んで、ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く(泣く?).
. .」などとやられたこともない。まあ優遇されていたのだから、今さら恨みがましいことを言うつもりはない。しかし、毎日のメシの確保をしなければならなくなった。まあ、住居の方は、雨露をしのぐ場所はどこにでもあるから、メシの確保と較べれば、別に大きな問題ではない。ただ、柔らかいソファーや暖かいベッドに寝るというわけにはいかないだけである。目下の所、夏だから、寒くなるまでには、まだ時間がある。
■浪人というのは、この国の江戸時代に、大した仕事をしなくても、御主人様(殿様と呼ぶらしいが)に三度のメシを食わせてもらっていたサムライが、急に殿様が領地を失って破産したり、何かの落ち度が見つかって殿様に首を切られたりした者のことで、私と同じように、開放され自由の身にはなったが、給料がもらえない境遇に落ち、主人なしではメシが食えない悲しい身分の人たちなのである。本来は「浮浪人」の意味で「牢人」とも書いたというぐらいだから、正にアメリカの奴隷的境遇にある人たちである。これから抜け出す唯一の方法は、新たに「主取り」をすることである。猫とて同様、新しい御主人様(アメリカでは、奴隷の所有者のことを、奴隷に
"マスターMaster" と呼ばせていたが、日本のバーやレストラン・喫茶店のマスターとは大違いで、殺生与奪権の持ち主だから「偉い人」で)を探さざるを得なくなったのである。
■"As I said before, us cats are different from dogs." 前にも言ったように、猫は犬とは違うのである。何も建設的な("productive"
は「生産的な、利益を生ずる」などと訳されているが、あまりいい訳がないようだ)ことをしなくてもメシにありつける特権を猫はもっている。犬のように「ドロボー除けの警報機」の仕事をしたり、動物殺しの手伝い(猟犬として)をしたり、麻薬中毒にさせられて麻薬捜査("narcotic
investigation")の片棒を担がせられたり、雪ゾリを引いたり、盲導犬になったり、警察犬をやったり、飼い主に愛嬌を振りまいたり、そういうことをしないとメシにありつけないのとは違うのである。
■サムライも殿様が民・百姓の上前をはねた分のおこぼれをもらって生活する。だが何もしないでメシを食わせてもらう猫よりは、少しはマシなのかもしれない。大してプロダクティブでなくても、一応、お城に出仕して事務仕事(オフィスワーク)をするから、遊んでいるばかりではないのである。上級職の上士なら、生活はかなり豊かかもしれないが、下の方の者の生活は、けっこう苦しいのだ。それでも、出勤できる者(役付きのサムライ)はいい。無役のものは惨めなもので、役付なら役職手当がつくから、その分だけでも無役のものよりも生活が楽だが、無役の下級武士は、何もしなくてもいいが、そのかわり家禄(何石とか、何両何人扶持とか、何俵何人扶持を年二回ぐらいに分けてもらう)だけで生活しなければならない。物価がインフレ("inflation"
の日本式短縮形)になっても、収入は同じだから大変で、百石、二百石取りのサムライなら、何とかやりくりできても、三両三人扶持などという最低の家禄しかもらっていない者たち(江戸徳川家の家来など)は、家族全員協力して、一年中、アルバイトの手間賃稼ぎをしないと、食っていけないのである。浪人となると、この家禄もないわけだから、それは惨めなものである。私もこの浪人と言うラベルをはずす努力をせざるを得なかったのである。
■昔の黒人奴隷なら死ぬまで浪人することはない。古代エジプトやローマ帝国時代の奴隷も同様で、大金持ちになった奴隷や、奴隷の身分のままで大臣になったものもいたというぐらいだから、浪人よりも奴隷の方が楽かもしれない。もっとも、日本は奴隷制度を一度も持たなかった国だと言われているから、日本人には、奴隷と言うと、あの西部劇に出てくるアメリカの黒人奴隷しか想像することができないかもしれない。浪人が、再度、主持ちになるには、江戸時代と呼ばれた徳川幕府治世下でも、希望者が多く、競争率が高いわけだから、簡単には雇ってもらえなかったらしい。吾輩も彼ら同様の努力をすること以外に手はないと悟ったのである。
■猫に私有財産があるわけではない。だから、金品を誰かに贈るわけにもいかない。頭を使う以外には手はないのだ。幸いに頭は悪くないし(天才だと思っているぐらいだから)、語学の才能にも恵まれている。日本語も、来日いらい、暇にあかせて勉強したから、米日両語に精通したバイリンガル("bilingual
= 二ヶ国語を流暢に話す)だ。人間は誰も知らないが、猫は語学の天才なのである。猫はどこで生まれようが、どこかへ移動すると、たちまちすぐにその土地の言葉を覚える。猫である限り、どこの国へ行っても、猫同士のコミュニケーションはすぐに取れるようになる。その国の猫語をすぐに覚えるからである。私などは、その上、人間の言葉にも精通する能力を持っている。猫なら誰でも人間の言葉が分かるようになるというわけではない。私のように人間の言葉が分かるようになる猫もいれば、どうしても覚えられない猫もいる。皆、ある程度は分かるようになるらしいが。しかし、犬のように「多少は人間の言葉が分かる」ことが人間に知られると、後で大変な苦労をしなければなくなるので、できるだけ人間の言葉が分からないような振りをして、われわれ猫族は、長年努力し続けてきたのである。この語学力を利用すれば、新しい御主人様を見つけることも、何とかなるだろうと、早速、行動を開始したのである。
■次のマスターが見つかるまでは浪人の身分だから、メシを何とかしなければならない。日本はアメリカと違って、そこの共同体の一員にならないと、うまくやっていけない社会だ。猫の社会だってそうなっている。ゴミ箱あさりだって、それぞれ縄張りが決まっているから、他の猫たちの縄張りを荒らそうものなら、半殺しの目に会ってしまう。日本の猫ときたら、恩知らず恥知らずで、私が主持ちだったとき、一人(猫だから一匹か?)では食べきれないご馳走を近所の奴らに分けてやっていたにもかかわらず、私が困っているときはそっぽを向いて、魚の尻尾の一つも分けてくれない。不人情(不猫情?)な奴ばかりで、頭にくる。
■そういうわけで、二日もメシを食っていないと、ドロボーでもやるしかなくなるではないか。いわゆる「泥棒猫」というやつだ。しかし、これをやって人間様に捕まると、こっぴどく殴られたりするから、私には危険すぎて、とてもじゃないけどドロボーなどは出来ない。生まれたときから浪人の野良猫("アリーキヤットalley
cat")なら、魚屋の店先から、サバ("マッカレルmackerel")やサンマ("ソーリーsaury")をさっと失敬する才能と度胸を持っているかもしれないが、私にはとても出来る芸当ではない。
■結局、人間様のものを失敬するのはやめにして、替わりに、近所にいる、少々間の抜けた犬のメシをいただくことにしたのである。この犬の名前は「シロ」といい、全く気のいいメスの犬なのだ。ちゃんとした飼い主のいる犬で、ほとんど鎖につながれることもなく、常時、放し飼い同然の犬なのである。この国の法律では、犬の放し飼いは禁止されているのだが、近所から一度も苦情を言われたことはないと飼い主は言っている。このシロ君は、全く、人畜無害なのである。シロに噛みつかれることなど、絶対にないと近所の人は思っているぐらいだから、「畜」の内に入る私などにも、いたって愛想がいい。
■シロ君には猫もうらやむような特技がある。飼い主がいるのにもかかわらず、直径一キロメートル以内に、行けば必ずメシを食わせてくれる家を四軒も五軒も持っているのである。相手は「野良犬だからかわいそうだ」と思ってエサをくれるわけではない。シロには、ちゃんとした飼い主が居ることを知っていて、それでもシロが来るとエサをやるのである。どうしてこうなるのか私にはよく分からないのだが、これこそ、シロ君の大特技なのである。シロ君は、外で、自分の家のメシよりも美味い物を食べているので、家のメシははよく残す。この残ったシロ君のメシをいただくことにしたので、飯の心配だけはなくなった。
■シロ君は頭がいい訳でもないし、私のように毛並みがいい訳でもない。ただ人(犬と言うべきか)がいいのである。誰にも恐がられない。シロ君は人間とうまくやるコツを知っているのである。これは私も大いに見習わなければならないと思ったのである。
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