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・クラスルーム・ティーチングは英語教育には向いていないのかも知れない

■学校という名のつく所で、集団的に英語を教えるのは、「効果(イフェクト)」の点から見てみると、ひどく非効率的で、良い結果を出すのが大変むずかしいとセンセイは言う。

■「外国語としての英語教育。ティーチング・イングリッシュ・アズ・ア・セカンド・ランゲージ」というのは、学問的にも世界的に大きな分野で、大勢の学者がいかに効率よく英語を習得させるのかを研究している。今や英語が事実上リンガフランカ(lingua franca、共通語に類似するもの)として世界中で使われ、この国のバカな政治家など「英語を日本の第二公用語にしよう」と言うぐらいだから、日本中、英語英語と大騒ぎしている。

■英語教育で中心的な存在は、何と言っても米国で、中でもセンセイの母校のハワイ大学は、この分野では全米一の評判をとっているほど有名な言語学者を有している。センセイも五十歳半ばでTESOL(Teaching English to Speakers of Other Language)と呼ばれる「英語教授法」で修士号(MeD教育学修士号)を取ったぐらいだから、一応、この分野の専門家と言ってもいいだろう。

■今日も家に帰ってくるなり、"You know, Charlie, motivating those who never wanted to study English to begin with and make them learn it is not my job, is it? My students are in their twenties and thirties. They are all adults and don't have to be told to study seriously."

■一クラス二十人ほどの学生のうち二、三人が寝たり、ボケッとしていて、センセイの後について声を出して発音の練習をしないのだと言うのだ。一人前の大人になっている学生、歳も最低十八歳、二十代、三十代もいるし、大卒も二、三人はいるというのに、授業中はちゃんとやれとか、もっと真剣にやれと言うのは仕事ではないだろうと言うのである。

■最近の大学生の受講態度はひどいもので、物を食べたり、飲んだり、隣の学生と喋ったり、ケイタイ電話を使ったり、カセット(今ではMDやCDだろうが)を聴いたり、途中で教室から出ていったり、まあそれはひどいものだという話は、私も色々なものを読んで知っているのだが、

"It must be really tough to motivate these students to study seriously and teach them how to behave. Cats don't have to go to school, so I really don't know what's it really like. Stupid dogs are sent to 'obedience schools' sometimes and they learn to carry out some tasks as well as to become obedient to their masters. Us cats don't have to learn all those tricks, though."

■学生にしっかり勉強するよう動機づけ(モウティヴェイト)るのは大変なことかも知れない。受講態度は普段のしつけの問題だから、彼らを育てた親の責任ともいえるし、小・中・高でマナーを教えられなかったせいかも知れないが、少なくとも大学や専門学校の先生の仕事ではないことは確かだ。受講態度は躾(ディサプリン、discipline 鍛錬、修業、教練、調教、規律)がされているかどうかによってきまることだから、屑のような学生が集まる学校とエリートの集まる学校では違うのだろうが、モウティヴェイション(motivation 動機付け)ということになると、一人の教師の責任というよりは、教育システムとか、学校で勉強することの「価値観」の問題ということになるであろうとセンセイは言う。

■英語の諺に「馬を水辺に連れて行くのは簡単だが、馬に水を飲ませる(飲みたくない馬に)ことはできない」(You can take a horse to water but you can't make him drink.)というのがあるが、英語を覚えたいと思っていない学生にそれを習得させることは並大抵なことではないのは分かる。不可能ののかも知れない。

■猫は学校へ行かないけれど、ワン君たちは訓練学校に入れられるものもいる。警察犬、麻薬捜査犬、救難犬、盲導犬たちはかなりきびしいトレーニングを受ける。もっともワン君たちには、クラスルーム・ティーチングは行われないだろう。個人(犬?)指導ということになるから、彼らのことは人間様には適応しないだろうが、躾(ディサプリン)に関しては、結構参考になることがあるかもしれない。

■「アメ」と「ムチ」という古来より使われてきた方法もある。軍隊の教練などはあまり「アメ」を使わないで、もっぱら「ムチ」が使われるのかもしれないが、スポーツ選手を鍛えたりするときは「アメ」が結構使われる。特にプロ選手として大金を稼げる可能性のある野球、ゴルフ、サッカー、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケー、テニスなどのようにプロになる道が敷かれている世界では、大金という「アメ」が目の前にぶらさがっているから、能力のある者には十分なモーティヴェイションとなる。発展途上国や旧共産圏の国々では、オリンピックでメダルを獲得すると、一生食べていける待遇があったり、高額な報奨金にありつけたりするから、大きなインセンティヴ(incentive 刺激、動機、奨励金)となる。

■英語をクラスルーム・ティーチングで習得させるのに「ムチ」を使うわけにはいかないので(センセイに言わせると、ちゃんとやらない者には「落第」とか「退学」とかいう「ムチ」も使えないではないが)、大抵は「アメ」を使うことになる。この「アメ」がどれだけ魅力的で、いかにおいしいかということになると、これはかなりむずかしい。まず、どの程度英語を習得すれば「アメ」にありつけるのかということがある。大金が稼げるほどのプロ野球選手のレベルが、オリンピックで金メダルを取れるレベルなのか、それとも甲子園にでれる程度の選手のレベルなのか、それとも草野球の選手のレベルなのか。この辺が重要なポイントなのだとセンセイも言うのだが、英語でもどこまで上達すれば「習得した」と呼んでいいのかは、意外と大事なことだと思う。

■英語がしゃべれるようになるといっても、ネイティヴ並なのか、政治や経済、ビジネスに関して、相手(かなり高いレベルの教養を持つネイティヴ)と互角に議論を戦わせることができるレベルの英語発話力を持つことなのか、それとも、単に日常会話ができる程度なのかである。話せるだけではなく、書く能力がどれだけあるかも重要なポイントなので、英語の習得度といっても千差万別である。

■「ムチ」は別として、「アメ」の方だが、英語の習得に対するインセンティヴ(報奨)やモウティヴェイション(動機)となる「アメ」とは、一体、どんなものなか。留学するためにTOEFLで五百五十点、六百点取りたいというのも一つのインセンティヴにはなるかも知れない。英語の専門家や言語学者になって大学で教えたいという人もいるだろう。読売新聞(平成一二年九月二十八日)によると、日本IBMでは「課長昇進にはTOEIC 英語検定で五百点以上、次長以上になるには七百三十点以上取得を条件とする」ということになったそうで、課長や次長になるというインセンティヴもあるだろう。こうなると「アメ」なのか「ムチ」なのか分からなくなってしまう。

■センセイに言わせると、個人的に指導している弟子たちは、モウティヴェイションは問題ないのだそうで、各人、本当にうまくなりたいからセンセイのもとで「発音の習得」からはじめている。あとはどれだけ練習するかという「量」の多少によって上達の度合いが決まるのだと言う。もっとも個人差はあるから、全員が最高のレベルに到達するというわけにはいかないが、クラスルーム・ティーチングとはくらべものにならないくらい、到達度、習得度が違うのだと言うのである。いかに学校と名のつく場所で、多数を対象にして教えることがむずかしいかは、猫の私でも少しは分かるような気がする。世界中の英語教育にかかわっている学者達が、未だに万能薬(panacea、cure-all、elixir)と呼べるような英語教授法をあみだしていないところをみると、英語を教えるということは大変なのだなあと思い、「センセイ、ご苦労さま」と言いたくなるのである。